福祉国家の原点が

 

杉本:そうですね。やっぱりいろいろ違ってくるでしょうね。というのは何だかんだ言いながら知的水準が上がっている気がするんです。かつて例えばたしかに社会主義国家というものがひとつの新しい人間社会モデルを具現化できるとということをレーニンみたいな人が提示したということはあったでしょうけど。でもその性急な結果として、副産物が大きすぎたということですよね。波及効果もあったにせよ、追跡的に見てみたらあまりにも。そういう歴史を知っているから、斬新的に進まざるを得ない。で、そう言いつつもその過程において、こぼれ落ちた人たちが悲鳴を上げている。

 

金子:そのとおりですね。

 

杉本:そういう人が出続けている。あるいはイギリスもそうですよね。サッチャー政権以降、きっとあまりにもやり過ぎたおかげで。またブレイディさんの話に戻っちゃいますけど、ケン・ローチがね。『1945年の精神』という映画のDVDを出して、日本人の学者コメントの付録もたくさん付いている。

 

金子:あぁそうですか。

 

杉本:けっこうプロパガンダ的な映画ではあるんですけど。確か英国版の付録のDVDでは、今の若い世代の人がその映画を観た感想を述べているらしいんですね。けっこうびっくりしたらしいんですって。NHS(国民皆医療保険)とか、ベヴァンという人でしたっけ?労働党アトリー政権の社会保障省のトップの人の政策。いろんなものの国営化路線ですよね。で、今の若い人がこれを観てすごくびっくりして。自分の生まれる前の時代にこんな社会があったのか。パーフェクトだし、こういう政治が欲しい、みたいな。もちろんそれはソビエトの社会主義の行き方を修正しながら、民主主義的な方法論としてやったことだと思うんですけど。今そういうものが忘れられていたようで、それを観たときに若い人が驚いて感動したという映像も付いているらしいんですね。

 

金子:なるほどね。マイケル・ムーアみたいなのも学生は喜びますよ。

 

杉本:観ているんですか、マイケル・ムーア。

 

金子:ヨーロッパの福祉や教育の制度をおもしろおかしく描いたものがいくつかありますよね。

 

杉本:医療政策を取り上げた映画もありましたね。他にも撮っているんですか、そういうものを?

 

金子『シッコ』ですよね。あと『世界侵略のススメ』がいいですよ。

 

杉本:要するに、僕らのために政治はあるんだっていうね。あるいはあったんだっていうか。無料化だとか国営化だとか。一般的な人たちがほとんど公務員だとか。そりゃ物欲をそんなに満たすことはできないけど、生きていること自体が不安じゃないということに対する新鮮な感動みたいなものがあるということは、どこかで福祉国家がバックラッシュしたというか、反動化してしまったことへの反省がイギリスでも、もしかしたら日本でも今後出てくるのかなというふうにもちょっと思うんですけどね。

 

金子:どうなりますかね。日本の若者が政治に向かうかというところは、福祉の学生を見ているとあまり感じられないですけどね。

 

 

 

「個人主義的な貧困観」と「社会的貧困観」

 

杉本:やっぱり広義の貧困の議論で言えば、「個人主義的な貧困観」と「社会的な貧困観」の対抗というか、ある種戦いみたいな部分なんですけどね。けっこうここら辺で社会的貧困論みたいなところに僕ら日本の普通の庶民が立てるかなという。

 

金子:そうですね。

 

杉本:立ってほしいというか。

 

金子:そうですね。うんうん。

 

杉本:ひじょうに思いつつ読んだところなんですけど。先生の立ち位置からするとラディカルな社会的貧困論になりますかね。

 

金子:ええ、そのつもりです。

 

杉本:でもラディカルな社会的貧困のかなり手前に保守リベラルな社会的貧困論があって。もっと言ってしまえばそれ以前にものすごく個人主義的な貧困論、これが根強い。長く常識に近いものとなってしまっていると思っていて。

 

金子:そうですね。

 

杉本:これをどう転換するのか、どこまで可能なのかって、やっぱりどうしても思ってしまうところなんです。まさに資本主義社会にマッチングした考え方なので。

 

金子:そのとおりですね。

 

杉本:自己責任論とか。相も変わらずのパターナリズム。パターナリスティックな政治家のオジサンもいますし。規制緩和の果てに金儲けに成功した、新自由主義で成功した人たちは「自分の能力だよ」って言いかねないし。ベテランで上がっちゃった政治家とか行政で上がっちゃったクラスの人たちはものすごい保守的なパターナリズムを持っているような気がして。これがたぶんドッキングし、この両者のマッチングがすごくて。で、マスメディアもその上に乗っかって席巻しちゃってるから。本当一回、これじゃアカンわとなって民主党になった気がするんですけど、それもダメだったという結論で。民主党自身も自分たちのやり方は失敗だったと思っているらしく、どんどん分裂して原理主義的なのと保守的な方に分かれてしまっているような様子で。どう考えても社会的貧困論の路線が今ちょっと抜けてる感じがするんですが。勝ち負けの話じゃないんですけど。

 

金子:国民民主党ですか、ベーシックインカムとか言い出してますね。

 

杉本:そうなんですか。

 

金子:はい。すごいリベラルというか、保守的なベーシックインカムを言ってますね。

 

杉本:それこそ、それでダメだったら給付付き税額控除みたいなところでもいいです、みたいな感じですか。

 

金子:そうそう、そうです。就労とセットであるという。

 

杉本:セットかぁ。この就労とセットというワークフェア政策はヨーロッパでもやっているサービスなんですよね。就労訓練でお金をあげる。

 

金子:ええ。

 

杉本:だからある面では日本に限らずなってる現象ですよね、いまのトレンドとして。

 

金子:そうです。そうだと思います。でも元々日本は就業率が高かったり、無理やりみんな働いてますから。病気になっても障害があっても働かないと生きてはいけない。

 

杉本:うーん……。

 

金子:これ以上、ワークフェアしても無理ですよね。非正規雇用が増えるだけで。

 

杉本:まさに。

 

金子:長期継続が難しい、単純労働しかないので。

 

杉本:そうですよね。

 

金子:あっという間に意欲を無くして失業しますよね。

 

 

 

社会保障制度が目指す根本問題

 

杉本:そうですね。僕なんかは、けっきょく自分のことを話すんですけど、もうあと7~8年我慢すれば年金を65歳から受給できる世界なんですよ。僕は連れ合いもいないし、子供もいませんけど、通常ならいてもおかしくないわけです、成人を迎える子供がいても。彼らこれから30年40年生きて、僕くらいの50代後半とか60になったときに、いったいどんな自分なんだ。ぎりぎり俺の親までは年金をもらえたけど、俺はもらえっこないじゃないか、みたいな。生活に対する安心感。これが相当持ちにくくなってるんじゃないかと思うんですよね。

 

金子:まさに、そうです。

 

杉本:まして奨学金で借金抱えちゃって。

 

金子:だから展望を持ちにくいですよね。というか、そういう戦略ですね。債務奴隷ということ。奴隷は政治に発言できませんから。

 

杉本:そもそもみんなお金は拠出しているはずだし。いや、若い人はどんどん年金保険料の拠出しにくくなって、おっしゃるとおり税負担が2分の1まで来ちゃっているわけですけど。国民年金も免除制度をたくさん作って。でも免除期間が終わったら、今度は全額免除にしていかなくちゃいけなくなるとかね。そうすると、全額免除で満額の何分の1になるのかな?満額ったって月6万4千円くらいですから生活できる金額じゃない。やっぱり今を見て未来を予測することしか、なかなか人間って難しいと思うんですね。あるいは先行世代というか親の世代を見て自分自身をイメージすることしかできないと思うんですよ。若い人は。そうすると夢を持つ、冒険をしよう、チャレンジしよう、何かに向かおうとしても失敗したらホームレスかもしれないじゃん、みたいなね。奨学金もあるのに冒険なんて。月々の借金を返さなくちゃいけないのに。どこかで会社から賃金を貰わなかったら借金なんか返せるわけないよっていうものだと思うんですよ、やっぱり庶民はね。さぁどうしたもんだろう?っていう感じで()

 

金子:そうですよね。希望を語るのが難しくて。授業でもそうなんですけど。批判して終わっちゃいますね。どんどん暗くなっていくんですよ。

 

杉本:夢を語れないから()。でも、まず認識から行こう、やっていこうということでこういう本があるわけで。認識できているかできていないかで、お先真っ暗かどうかが違うと思うんですよね。薄曇りくらいまで晴れてくる可能性もあるわけで。今はないけど、こういう展望もあるよと。なんでこんなに暗いんだろうと思ったら、いや、それは暗い理由はちゃんとこういう構造的にあるんだということが分かるのと、分からないのとじゃ違うというか。そういう役割がこの本にはあると思うんですよ。

 

金子:そうだといいですね。自分たちが置かれた境遇がそういう構造に拠っていることを考えてもらうためにこの本を書いたので。

 

杉本:何か新しい生産について議論とか、社会の中に新しいイノベーションを作るとか、医療の中に革命を考えるとかということじゃなくて。問題は今の経済と分配の議論なので。分配をどうするかという話なんだけど。こうすればいいじゃん、というのがあるのだけど。一般の普通の人たちやメディアとか政治家の人たちが、「いやいやそういうのには耳を傾けられません」というふうな状況が被さっているわけで。そこが夢や希望を語りにくくしている何かなのかな?というと。やっぱり政治の議論になってしまうのかな?って。

 

金子:そうですね。遠いですけどね、政治が。

 

杉本:あ、遠いですか。

 

金子:若い人にとっては。

 

杉本:あぁ。やっぱり若いからですかね。

 

金子:そうなんですかね。いやでも、昔の若い人たちは違ったじゃないですか。

 

杉本:そうなんですよね。だから反抗期の話をね。これは心理学の話なんですけど。本を作る過程の中で監修者の先生と話をしたときに、第二次反抗期という、いわゆる思春期反抗がもう教科書に載っていないんですよって仰られたんですよ。僕はけっこうびっくりしちゃって、思春期の第二次反抗期ってもう教科書に載ってないんですか?って。そうしたら思春期反抗っていうのは、それは文化的な現象で。今の現在進行形の日本社会の中では第二次反抗期っていうものはほとんど消滅しちゃってるんですみたいな話をされていて。

 

金子:そうですか、へぇ。

 

杉本:じゃあ大人にやられっぱなしじゃないですか?って言ったら、まぁそうですねって()

 

金子:そうですよね()

 

杉本:それはでも、世の中の変化ってどうなっちゃうんですかって言ったら、「さぁどうでしょう…」みたいなね()。うーん…難しいんだなっていうふうに思ってしまったんですよね。やっぱりそういう感じなんでしょうかね。

 

金子:うん、そうですね。政治的なことを語ること自体が難しいですよね。

 

杉本:むしろでもネトウヨみたいな形でネットで反中・嫌韓みたいなのとか。朝鮮・中国嫌いみたいな。「俺の親の世代かよ?」みたいな人たちが若い人で増えてきているみたいですけど。あれはけっきょく自分が向き合うと辛いものを別のところに転化しているというか、現われなんでしょうかね。

 

金子:ネトウヨの話は難しいですね……。

 

杉本:本当は政治を批判した方がいいはずなんだけど、それは何故か出来なくて。フラストレーションが中国とか韓国とか新興勢力に向けるみたいな。それが極まるとナショナリスティックなところに信仰心みたいなものを持っちゃうみたいな感じになってしまう。自分の首を絞めている人を信仰するみたいな感じですね。

 

金子:うん。

 

 

 

専門ソーシャルワーカーも当事者団体的になる日本

 

杉本:でも先生、これだけ、400ページくらいのボリュームで、熱量がすごいじゃないですか。

 

金子:そうですか。

 

杉本:そうじゃないですか?これタイヘン、肉体的にもきついんじゃないかと思うのですけど。一人でこれだけのものを書いてまとめあげて。

 

金子:1年で書き上げました。

 

杉本:ですよね。そうとう熱がないと出来ないと思うんですけど。

 

金子:そうですか。いや、僕はほとんど論文を書かない人間なので。ここ最近、書いてこなかったんで。何かまとめなきゃいけないと思って。最近どころか10年以上、あまりろくなものを書いていないので。書こうかなと思ってまとめたものなんですよ。

 

杉本:頭の中では何年もずっとあった素材なんでしょうね。

 

金子:そうです。

 

杉本:でも、けっこう直近の話題も取り上げられてますよね。

 

金子:はい。

 

杉本:そこはすごいんだと思います。まとめる力が。

 

金子:つまみ食いばっかりで。

 

杉本:いえいえ。ですからあきらめていないんだと思うんですよ、全然。

 

金子:なるほど、そういうことか(笑)

 

杉本:この本は、どういう人たちをイメージして書かれましたか。

 

金子:社会福祉の職場にいて、ひどい政治や制度によって苦しめられている人々、支援者、それからそういう支援者によって良いケアを受けられないでいる福祉の利用者や当事者をイメージして書きました。低賃金で過重労働させられている福祉現場の卒業生、しかも奨学金を背負って、親の介護や暴力を抱えながら生きなければならない当事者でもある若者たち、というイメージです。

 

杉本:なるほど。

 

金子:ソーシャルワーカーは日本では残念な状態です。欧米ではソーシャルワーカーは高学歴で、権威であり、いろいろなパワーを持っている存在ですが、日本はどう考えても違うんじゃないかって思っています。支援が「ソーシャルワーク」になっていない部分も多く、むしろ当事者団体的になっていて。

 

杉本:当事者団体?

 

金子:えぇ、支える方も支えられる方も、こう。

 

杉本:共に支えてほしい存在だと。

 

金子:そうなんです。

 

杉本:()うわぁ。なるほどなぁ。

 

金子:むしろそこに希望がある気もするんですよね。ピアサポートということにもなり得るわけで……。

 

杉本:ああ、共にね、苦しい存在として。

 

金子:先ほども話しましたが、学生を見ていると、家庭が生活困窮だったり、お父さんが借金しているとかアルコール依存とか、鬱だとかっていう話が山のようにあります。虐待を受けたり、ひきこもり経験がある人もいます。でもそういう若者が人の役に立ちたいと言っているんです。で、卒業をして、福祉の現場に行って、ものすごい劣悪な境遇でタイヘンな中、頑張っているという実態があるんですよね。

 

杉本:あぁ。くじけずに。

 

金子:はい。そういうソーシャルワーカーや若者をエンパワーするような。

 

杉本:エールを送って。

 

金子:それを送っていきたいという気持ちがありますね。

 

杉本:うん。それでですね。そこに水をかけるようで申し訳ないんですけど、卒業生の皆さんに寄贈するとしますよね。でも読む時間が……。

 

金子:うん、無いんですよね。

 

杉本:いや僕の本もね、地方のサポステで働いていた友達がいて、誰も読んでませんって()

 

金子:()そうですか。

 

杉本:杉本さん、僕だけですよ読んでるの、って。別に皮肉でも馬鹿にして言ってるわけではなくて。それくらい本を読む時間が無い人が多いという話で。

 

金子:そうですね。

 

杉本:「ううむ、そうなのか」みたいな話ですよね。いちばん最初にサポートステーションで働いていた方のインタビューを載せたんですけど、それも読まれていないらしく()。同じ職場の人の話も読まれないのかと思ってね。それはさすがにちょっとだけ驚きましたけど。でもまぁ、読む人は読むわけで。

 

金子:うん。あと、わりと同業者に向けて、つまり福祉だとか貧困とかの研究をしている人に向けて書いたところもあります。自分は一流の研究者でも実践家でもないので、この本をきっかけに「次」につなげていってくれる方がきっといるだろうと思っています。

 

杉本:そうでしょうね。これは本当によくまとまっていて、説得力がある。

 

金子:自分では全然そう思ってないんですけど。

 

 

 

財源と経済政策の問題の前には揺れてしまう

 

杉本:いやいや、これは本当にそう思います。ただ意外とお話を伺っていると、思っているほど、たいへん失礼ですけど一部の記述に対して、それほど強い思い入れは持たれてはいなかったのかな?というような()

 

金子:そうですか、そう見えますか。そうか……。

 

杉本:すみません(汗)。ちょっと言葉の誤解を招いてしまうと思うんですけど。

 

金子:いえ。すごい揺れているんでしょうね、自分自身。どういうスタンスで行くべきかが、いまだに分からない。

 

杉本:だから首をかしげつつも有りだなっていう感じですね、リベラル保守的な政策に対しては。

 

金子:はい、そうなんです。

 

杉本:社会的貧困論に関して。もちろん個人的貧困論に関しては論外。

 

金子:それは、そうですよね。貧困観に関してはそうですね。ただ制度の実現可能性とか、財源の問題とか、そういうリアルな話をされると揺れてしまうんですよ。そこは分からないので。経済政策みたいな部分は。

 

杉本:そうなんですよね。たしかに潤沢な分配で思うんですけど、僕のような立場の人間が言うのは本当に無責任なんですけど、やっぱり経済的な成長ということ無しで出来るのかな?っていうことって思わざるを得ないところがありますよね。

 

金子:それです、いつも必ず問われるのはそれです。

 

杉本:まぁ簡単に言っちゃうとケインズ政策的な法制がいちばんいいのかなって思うんですけど。社会的貧困の立場で社会が進むのであれば、経済に関しては。

 

金子:そこは・・・、分からないですね。どうしても古臭い社民主義みたいなものしか展望が見えなくなっていて、だけどそれじゃダメだろうという思いがあってあまり自信を持って強いことが言えないんです。「貧困は自己責任だ」とか「経済成長なくして貧困者救済はできない」とか言い放つことができるというのはむしろ楽ですよね。でも、そんなことを言っている間に目の前の人が死んでいくとしたらどうするか?ということです。かといって生活保護がバンザイでないことも明らか。だから中途半端な物言いになっちゃうんですね。

 

 

 

発信できる幸せからの使命

 

杉本:これはホント、どうにかならないものかって思うんですけどね。で、本来であれば昔は高校を卒業して仕事があったのだけど、高校だけだと仕事が見つからないので大学教育まで行かなくちゃいけないと思わされている。そして奨学金ですけど、いわば借金ですよね、借金して大学へ勉強しに来る。で、大学は出たけれどそんなにいい職場ではない。学校で学んだことと相当ギャップが、これは昔から言われたことですけど、(ギャップが)あるところで働かざるを得ないみたいな。これも高度成長の終わった後の時代の大きな問題のひとつかなっていう気はしますね。学歴のハードルだけはどんどん上がっていて。でも昔、考えられていた大学生というもののハードルだけは実は社会的に下がっているわけで、大学教育はお金が遙かにかかるから借金をして勉強しに来る。アルバイトもして。おかしい、何とかしろって言っているのは一部の意識高い系の若者のみみたいな()。あまり全体には広がらないというか、それこそ文化資本の高い人たちが突出して声をあげている。

 

金子:諦めかけることはよくありますけども。諦めかけるというか、これはもう無理なんじゃないかとよく思いますけども()

 

杉本:先生がですか。

 

金子:はい。

 

杉本:いやでもこれだけの熱のこもった本を書かれているわけですから諦めてるとはとうてい思えないんですけど……。

 

金子:諦めちゃダメだなと思ってなんとかがんばっています。代弁者としてやらなければならないという使命があるし、諦めざるを得なかった人もいるから。その代わりに言わなきゃいけないなっていうふうに思いますね。それが研究者の使命かなと。

 

杉本:代弁者として出来なかったというのは、先生の恩師の話ですか。

 

金子:ああ、それもありますね。それと、当事者で声をあげても誰も聞かないという立場の人だらけですよね。こういう発信が出来るということ自体が幸せなことなので。

 

杉本:そうですよね。

 

金子:だから機会を使って発言するのが使命なのかなという思いはありますね。

 

杉本:うーん、政治には期待できないでしょうかね。

 

金子:でも、そこしかないですよね。

 

杉本:いやそうなんですよね。でも今、昔の社会党的な野党って共産党くらいしかないじゃないですか。立憲民主党の立ち位置もよく分からないんですけど、言ってることは筋が通ってますけど、ちょっとね。党首の人が弁護士さんだから法律的な議論には強いですけど、経済理論とか社会保障制度に対する理論については、どう考えてるのかいまひとつよく分からないところがありますけど。そこは共産党が強いので、本質的にはゆるく繋がって、やはり日本も社民主義的な政策を取り入れてほしいと単純に思うんですけどね。

 

金子:分かります。それはそうですね。

 

 

 

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*ベヴァンー英アトリー労働党政権の保険大臣を務める。国民保険サービス(NHS)を導入したことで知られている。