北海道大学大学院 教育学研究院 附属子ども発達臨床研究センター

 

川田学准教授インタビュー

 

 

 

 

 

 

歴史と社会状況の中で子どもは生まれる

 

 

 

川田:私はどちらかと言えば保育とか子育て支援とか、実践領域としてはそちらなんですけども、そちらの領域でも戴いたこの、『ひきこもる心のケア』という本。このようなコンセプトの本を作ったらいいんじゃないかと思いましたね。

 

 

 

例えば専門家の方にインタビューするようなものですか?

 

 

 

川田:そうですね。親自身が専門家に話を聞くのもいいですしね。保育者がいろいろな立場の人に話を聞くのでもいいですけど。一般的には保育の世界も専門家がいて、専門家はだいたい大学の研究者とか、そういう人なんですよね。あとは現場の人がいていろいろな取り組みをされてますけど基本的には関係が上下関係になりやすいような気がしています。「指導する/指導される」という関係は、私もこの領域にずっと関わりながら違和感があって。それだといろんなものが覆い隠されてしまうわけで、「上から下へ」というと、聞いているほうはあまり責任がないですよね、言葉に対して。

 

 

 

ああ、聞いているほうがですね。なるほど。

 

 

 

川田:聞いているほうは「誰々先生がこのように仰っていたから」、というね。やっぱり保育の領域はそれが相当強いと思うんです。それでみんなが納得したり、責任は専門家に預けてしまうというか。看護などの領域もそうかもしれませんけど、どうしても保育だと現場はほとんどが女性ですよね。そして研究者はやはり男性が多いんです。するとやっぱり昔ながらの性別役割的なところもあるのか,なかなか難しい。そこも壁だと感じています。

 

 

 

ええ。そこは考えとして面白い指摘ですよね。ぼくも川田先生の文章を読んだときに似た意識を持っておられるのかな、と思った気がするのですよ。おそらくこれは元々川田先生の研究されている領域の、例えばワロンという人なんかもそうなんでしょうけど。「関係性」みたいなものを非常に大事に考えている。ワロンもきちんと読めてるわけでないと思うんですけど、子どもの成長を一方的に大人が見るというより、子どもによって大人のほうがその能動性を引き出される。そういうような着眼っていままで聞いたことがなかったなと思いました。だから上とか下、教える人、教えられる人の役割で良いという形では完結しないんじゃないかと考えている部分があるんじゃないかと思ったんですが、どうでしょう?

 

 

 

川田:いまの前半部分のワロンの話。僕もフランス語ができないので、ワロンの原著はまだ読めていないんです。原著は持ってるんですけどね。で、今年の秋からちょっとフランスに行く予定ができたので、最近ちょっとフランス語を勉強しようと思ってるんです。ワロンに関しては私も翻訳書を介して学んだことしかありませんから、自信を持って言えないんですけど。発達研究者としてのワロンの面白さは人間の何というんでしょう?非常に宿命的な、ある状況の中に生まれ落ちてその状況で生きるしかないという。非常にこの、人間の状況性というか、あるいは歴史性というか。そういうような観点から発達研究を着想したところがあるんじゃないかな、と。そういう風に思うんですよね。

 

 で、同じような人にヴィゴツキーという人がいるんですけど、でもヴィゴツキーとワロンはまたちょっと着眼点は違っていまして。もう一人がピアジェですね。このいちおう3人が3巨人といわれる人たちなんですけど、この人たち、やっぱりあとから振り返ってみると自分自身が生きた時代の、あるいは生きた状況が理論に反映していると考えられて。これは私が言っているというよりは多くの人が指摘していることですけども。ピアジェとヴィゴツキーというのは同じ年の生まれの人間なんですよ。で、ワロンはもうひと回りくらい上の世代ですね。で、ヴィゴツキーをいちおう置いておきますと、ピアジェとワロンの大きな違いは生まれた時代が10年違うだけじゃなくて、やっぱりピアジェがスイス人だったというのがひとつ大きなことで。

 

 

 

ああ、スイス人なんですか。

 

 

 

川田:ええ。フランス語話者なんですけども、スイス人なんですね。で、スイスというのは永世中立国なので、基本的にはいろんなヨーロッパからの疎開地みたいなところですね。だから2回の大戦でスイス自体が戦場になったことはない。第二次世界大戦中も、ピアジェは比較的安定して研究活動を続けられたと思うんです。

 

 

 

戦争中も?

 

 

 

川田:すぐ上で戦争をやってるわけですけれども(笑)。それに対してワロンは最初の経験が、要するにフランス人ですので、第一次大戦のときにもう苛烈な戦争体験をしている。前線の塹壕の中で彼は従軍医だったんです。彼の最初の博士論文というのは妄想の研究(医学博士論文『迫害妄想:解釈を主にする慢性的妄想』1908年)だったのですが、第一次大戦での従軍経験をはさんで1925年に文学博士論文として『アンファン・トゥルブラン(enfant troubler』というものを書くんです。それはきっと戦争での苛烈な経験をくぐったものだったと思います。「アンファン」は子どもです。「トゥルブラン(troubler」というのは「トラブル」と同じような意味で、日本語訳が難しくて、いろいろな邦訳がされているんですけれども。「人を騒がせる子ども」とか、「騒々しい子ども」とか、「多動児」とか。これは、いまの多動児とはちょっと違って、とにかくいろんな200例以上の臨床例から作られている博士論文で、障がいをもった子どもたちの何というか、常に動き回っていたりとか、生活が落ち着かないような、その背景には貧困の問題なんかもあって。とにかく大変な混乱の中にあって周りを混乱に巻き込み、自分も混乱のるつぼにいるような。そういう子どもたちの例なんですけれども。おそらくそのモチーフになっているのが、第一次大戦の従軍経験なのではないかと。従軍したときに、彼が目の当たりにしたのがいわゆる「戦争神経症」というやつで、すごい恐怖の経験の中で兵士の心と行動がボロボロになって行って。

 

 

 

今でいうPTSD?

 

 

 

川田:そうですね。PTSDの一種だといえると思います。第一次大戦のときに初めて人類が戦争後遺症を大量に観察することになる。観察せざるを得ない機会になったんだと思うんです。本当にその時に前衛で、まさに壊れていく兵士をワロンは診ていたんですよね。おそらく壊れて、身体が震えてとまらないとか、わけのわからない絶叫を上げてパニックになるとか。そういう昨日まで普通の健康な兵士というか、若者として戦場に来るわけですけど、しばらくしてぼろぼろ。完全に壊れてしまった人たちを診ていて。で、これがヴィゴツキーなどと観点が近いんですけど、やっぱり健康だったものが壊れていってしまうというそのプロセスと、そこから逆に「健康な発達というものは何か?」という、障がいからむしろ健康な発達とはいったい何か?というものを捉える発想で考える人なんです。おそらく『アンファン・トゥルブラン』のモチーフは、戦争後遺症の兵士たちの心理臨床がモチーフになってるんだろうな、と思うんです。

 

 

 

いわゆる「シェル・ショック」というやつでしょうか?

 

 

 

川田:そうですね。もっと広く言えば戦争神経症ですね。

 

 

 

それらを先に目の当たりにして健康な人間が苛烈な非日常的な状況で人間性が壊れていってしまうという。それはおそらくワロンさんにとっても相当ショッキングだった体験だった?

 

 

 

川田:そうだったのだろうと思いますね。

 

 

 

 

 

近代思想としての「発達」概念

 

 

 

すると平和な時代の健康と、戦争時の人間の健康とどこまで違いがありえるのか。やっぱり例えばぼくは昭和36年生まれですから、高度成長の時代と共に光の時代でもありました。日本の国も同時に成長していく時代でもありましたし(笑)。いまの時代のようにあえてナルシステックに日本国を立派なものとして言わなくても、自然と成長していく時代の子どもとして育っているわけですから、完全な健康観というものがあたり前のように身についちゃっていると思うんですよね。

 

 ぼくが思春期青年期に不健康である、病的であると思ったのはやっぱり自分の中にある健康観というものが確固としてあったんだと思うんですよ。いろんな意味できっと僕の内面の中にあって、そこから逸脱してしまった自分というものを思春期の頃に強烈に感じた。だから非日常性に直面していないほうが人間の発達とか成長に関してもちょっと「単線的」というか。先ほど宿命的な状況の中で人間が生きている中でものを考えたワロン、という風に言われたと思いますが。ぼくは宿命とか、限界とかいうものをけっこうな年齢まで意識してくることがなかったんじゃないかと思うんです。ただ、僕自身も50すぎてちょっとずついろいろ限界というものを感じはじめたり、自分の両親を見てて昔の親の記憶と違い、徐々に終末期に近づいているとか。するとやっぱり認識が少しずつ変わってきますね。だからものの見方も自分の内面の中で徐々に変化が起きているのかな、という気もします。

 

 

 

川田:そうですね。だから研究者、私は研究者しかわからないので、まあ研究者もその人なりに真理の探究とかやってると思うんですけど、やっぱり基本的には自分の生きている同時代性の中の自分の立ち位置というか、そこからしか物を考えることはできないんじゃないかなって思うんですよね。自然科学者は少し違うのかもしれませんけど、人間の発達研究というのは自然科学的な部分もありますが、「発達」という概念そのものがひとつの思想なので。これ自体が近代的な概念で、人類史で言えばまだ非常に若い概念ですね。まともに扱われるようになってから200年とか、人口に膾炙したのはせいぜい100年とか、その程度じゃないでしょうか。本当にまだまだ近代の上澄みみたいな概念だと思うんですよね。で、心理学というのはどうしても自然科学の末っ子たれ、みたいな。自然科学の一分野になれ、みたいな自然科学化のスローガンみたいなものがありましたから。何かいさぎが悪いというか(笑)。心理学が持っているさまざまな概念とか人間についての見方にあるバイアスのかかった、それは良い悪いは置いたとしても、あるバイアスがかかった人間の見方であるということを自覚して研究ができているかというと、そこは非常に弱いと思うんです。これは科学的で中立的なものであって、客観的なものであるということをどこかでずっと信じていることがあるんですけれども。私はそれは極めて幻想的だと思っているんですけどね。

 

 それでさっきのワロンに戻ると、あんまり単純に物事を捉えてはいけないんですけれども、ピアジェの戦争経験というものの詳細は分かりませんが、何か世界観とか人間観というのは戦後の我々とけっこう地続きという気もするんですよね。

 

 

 

はい、そんな気がしました。

 

 

 

川田:ですからやっぱり科学というものに対して非常に楽観性があるし、能動的な人間観。世界は自分たちの手で伸びていける、変えていけると。人間の楽観的な科学的認識に基づいた人間観というのをけっこう持っている人のような。だからともかく観察のバイアスというものがかかっていて、人間の赤ちゃんを見るときにも赤ちゃんの能動的と思える側面を捕まえて行くんですよね。自らが環境に働きかけて環境を自ら変えていってしまうという。だからピアジェはいちばん最初、赤ちゃんの観察を「反射」から始めるんですよね。「原始反射」と呼ばれる、例えば手にモノで刺激すると掴む、とかですね。この反射というのは適応的な、生物学的に適応的な機能を持っていると考えられるもので、赤ちゃんの一番命に直結するという意味では「吸啜(きゅうてつ)反射」とかね。おっぱいを吸う反射ですね。吸って飲みこむというのを、反射の連鎖で行っているんですけれども。これがうまくできないとお乳を飲むことができないので、命の危険になりますね。それから「吸う」ということに関しては、おっぱいを赤ちゃんの口に入れることはできるけど、「吸う」というのは大人がさせられないので、そこの部分は赤ちゃんにまかせるしかない。だからピアジェは赤ちゃんが反射を使ってうまく外の世界のものを中に取り入れると言う。自分の中に、外にあるものを取り入れる。そこに人間発達のスタートを見るんですよ。

 

 だけどワロンはそうじゃなくて、ワロンはやっぱり生まれたての赤ちゃんなど大部分は時に反射とかを使って能動的と記述できるところはあるけれども、圧倒的に、「弱い」と。もう大人の手がなければ一晩で死んでしまうくらいにもろいと。その「もろさ」というところに人間の発達の原点を置くんですよね。もろさ。このもろさを「関係性」の中で、人間の関係性の中で育んでいかざるを得ない。だから人間の赤ん坊というのは最初から人の手と社会的ネットワークがあるところに生まれ落ちる。その前提で生まれ落ちるというんですよね。だからその生まれ落ちたところが非常に深刻であれば、やはり生きながらえるのは難しいし、上手くあたれば生きながらえるかもしれないということで、ものすごく世界に対していろんなものを預けて世の中に誕生するんだ、と考える。ある種ペシミステックとも言えるし、ある種リアリステックとも言えるし、そういう人間観というものが根底にあると思いますね。ピアジェはあまりそうは考えないですね。ピアジェは自分の理論を組み立てた一番の根源になっているデータというのはわが子のデータなんですよね。

 

 

 

あ、自分の子の?

 

 

 

川田:はい。わが子の、三人の子どものデータをベースにして理論構築の一番の基礎部分を作ってるんです。なので基本的にピアジェの子どもであるということは生活の安定したブルジョワジーの子どもなんですよ。食べ物とか着る物に困らないとか、屋根のある家に住めるとか、そういうものは全てクリアされていて、言ってみればいまの我々とそう遠くない生存のための基本条件が整っているところから発達を見る。ワロンの場合はそうじゃなくて、戦争とか貧困とか、そういったところに生まれた子どもからいろいろものを考えているので、やっぱり人間観というものが自ずと異ならざるを得なかったんだろうなあというのがあって。そこが非常に対照的で興味深い。で、いずれの理論もいまの我々の人間の発達理解に大きな影響を与えたすごい仕事なんですけども。どちらかというと私は学生のときから読んでいて何となくワロンのほうにシンパシーを感じてしまったという(笑)。

 

 

 

(笑)ですから、ワロンという名前すらほとんどの人は知らないですよね。基本的な、大学で学ぶような発達心理学はピアジェという名前は教科書的には出てきますけど、ワロンという名前はぼくも聞いたことはないと思うんですね。

 

 

 

川田:そうですね。ピアジェと、あとヴィゴツキーはまあまあ知られてますね。

 

 

 

あ、ヴィゴツキーという名前は別の場で何か聞いたことがある気がします。

 

 

 

川田:ヴィゴツキーもいちおうスタンダードですけれども。ワロンは......

 

 

 

 

 

「情動」や「感情」に着目したワロン

 

 

 

それはやっぱり今の時代におかれている僕たちの環境がピアジェ的なものの考え方が支配的な時代に生きているって考えてよろしいんでしょうかね。

 

 

 

川田:う~ん。まあ、いろんな理由があると思うんですけど。ひとつはワロンの理論の内在的な問題ですけれども。やはり非常に思弁的な部分があるんですよね。ワロンの理論というものは。

 

 

 

ぼくは観察が随分鋭いなと思ったんですけども、確かにその観察を思弁に持ってくるとけっこうアクロバッテングな感じがしました。

 

 

 

川田:そうですね。

 

 

 

あ、こういう捉え方ができるんだ、というような。

 

 

 

川田:独特な、ある意味フランス心理学やフランス精神医学の伝統といいますかね。かなり思弁的で哲学的で抽象的な水準の議論が多いということもあるし、あと、これはワロン自身のひとつの限界だったと思いますけど、「実証研究」が可能な分析概念というものを提出していないと思います。やっぱりピアジェとかヴィゴツキーという人は、その後の実験研究、実証研究というものを可能にするような概念の発明を相当された人だったので。結局ピアジェ派とか、新ピアジェ派とかですね、ヴィゴツキー派とかいって、それを彼らは好んだか好まなかったかはわかりませんけど、そういう名前の下で、まあ新しい時代には実証研究がさまざまな実験等で行われていって、ピアジェやヴィゴツキーの理論を実証していくということが実際に展開されて今になっているわけですけど。

 

 

 

実験とか実証とかいうものをやりやすいお二人だった?

 

 

 

川田:やりやすい土壌、つまり方法論的な問題を意図的に扱ったと思うんですけども。まあ、ワロンはそこができなかったのが、う~ん。わかりませんけども、いや、ワロンは割と何だろう?すごく文科系の人というか(笑)。すごく医者だけど文科系のかたのような気がして。

 

 

 

ぼくもそれは感じました。これは「感応」というのかな?相互の身体作用みたいな話も出てくるじゃないですか?つまりは日本人の得意な、会話を成立しなくても、その仕草のやりとりを通して相互理解されているとか、葛藤があったり、いがみ合いがあってもこの場面での表情とか、身体のやりとりの中で、ああ、理解しあえているんだとか。割とそれを理屈だてて言う人はいないんだけれども。「ああ、分かる、分かる」みたいな。

 

 あと非常に面白いなと思ったのはちょっと話が飛躍してしまいますけど、実に面白いなと思ったのは、ぼくは父親とあんまり関係は良くないと思っていたんです。でもすごく父親と間違えられるんですね。自分の声とか、電話のやりとりとかで。要するにぼくが父自身と間違えられるということがよくあって。あと兄がいて。兄は18で東京に行って以来ずっと家に帰ってこないで外で大学、就職したんですけど、やっぱりぼくも兄に間違えられるし、兄も父親と間違えられるというのがあって。やっぱり言葉のイントネーション、発音とか。まあ声質が似るというのはあるかもしれませんけれど、おそらく何か独特にコミュニケーションのやり方を無意識のうちに父親から学んでしまっているんだなあというのはあって。おそらくそういったことの内容をワロンという人も書いているんじゃないかなと思ったんですね。

 

 

 

川田:そうですね。そういうところはワロンも一番注目してたところだと思うんですね。

 

 

 

そこになぜワロンという人は気づけたのかというのもすごいし、そこまでを継承するのが難しかったのかなあと。私も質問するにあたってそう客観的に質問事項を羅列できないというような(笑)。おそらく先生の論文を読んでもきっとそうだと思うんですけど、でも非常に何か分かるというか、興味深くて面白い。これはエキサイティングなことだと思うんです。思うんですけど、こちらに文学的な読み込みの素養がないために質問するのが難しいんだなあ、みたいな(笑)感じがしまして。ですから、だいたい文科系の人に関心を持たれる傾向が強いというのは分かるなあという気がするんですけど。

 

 

 

川田:そうですね。ワロンは医者だったんですけど、すごく文系の、文科的な医者だったのかも。なんでしょうね?なぜワロンが、特に「情動」とか「感情」とかに関心を寄せられたのか。ピアジェは自分の理論構築からそういうものを捨象したのですが。

 

 

 

どちらかといえば機能的な部分を・・・。

 

 

 

川田:そうですね。認知機能を見た人なんですけども。ワロンはそこを当然無視しているわけではなくて、認知的な発達も当然考えてたんだけれども、人間の知性というのはその根源に感情的な世界があって、この世界が知的な活動をどう生み出すかを考えないと、人間の精神発達の全体性を理解できないと考えていたと思うんですね。ピアジェは「感情エネルギー説」を基本的に採っていて。つまり車でいうとエンジンとかそういう機械的で構造的な部分は認知的な機能であって、感情というのはガソリンみたいなものだと。そういう風に考えていた。まあ、「消耗品」的なものというか(笑)。構造的なものとしては認知的な機能。だから研究としてはその構造を明らかにするということだと思うんですけれども。そうやってそのふたつをすごく峻別しちゃうんですけれども、ワロンというのはこれが乳幼児期にあっては分かちがたくこびりついていると。むしろ認知的な機能よりも情動的な機能のほうが優勢であって、で、ヒトの子どもはそれによってむしろのちのちの知性を発達できるし、自分の生存をちゃんと確保するんだという考えであって、当時はやっぱり皆あまりよく分からなかったと思いますね。「何を言ってるんだろう?」と思って。

 

 

 

自然な、僕らのように勉強を志してもいないごく普通の一般人にとってみると、感情が先にあるんじゃないか、というのは自然な感じがするんですけどね。

 

 

 

川田:まあ、今ほどには一般の所までそういった研究の話が届かなかったろうなと。心理学上の論争というか。心理学にとってかなり長い間「感情」というのは扱いにくいもので、基本的には感情というのは人間の知的な作業というのを妨害するものだと考えられていた。でもそれならなんでこんなに残っているんだろう?という話も一方ではありつつ(笑)。でも心理学的にはうまく研究の対象としてはやれないまま来たのでしょうね。感情みたいなものが正面から心理学とか脳科学の研究対象として定着したのはおそらくこの30年くらいじゃないかと思うんです。だからワロンは早かった、という可能性はありますね。

 

 

 

いまの感情を研究するような研究というのは、新しい人が出てきてそういうのを始めているんですか?それとも先駆的な、それこそワロンみたいな人をもう一度掘り起こして?

 

 

 

川田:いや、やっぱり新しい「脳研究」ですね。MRIとか、ああいった画像診断法的な脳機能測定が進んで。脳の表面だけではなくて、もっと深い部分までいろいろ診断できるテクノロジーがかなり発展してきたことがあるかなと思います。まあ、あらゆる領域でそうだと思いますが、心理学の領域でもやっぱりインスピレーションみたいなのを出す研究者がいて、だけどまだ技術がないから説明できない。それゆえ一度忘れ去られるんだけれども、何十年かたって技術が発展してきたときに古い論文が発見されてきて(笑)。何十年か前にすでに発見していた人がいて、これは重要な仮説を言っていたと。今ならこれを証明できる、とか。そういう感じでこう、何十年かごとくらいに掘り起こされるということがあるんだろうと思います。ワロンの場合は英語で論文をほとんど書いてないので、やっぱり戦後は圧倒的に英語が学術言語になりましたから。フランス語でしか書かれてないものがほとんどとなると、それはすごくハンディがあったと思います。

 

 

 

ピアジェという人は自分で英語で論文とかは?

 

 

 

川田:ピアジェは英語でも論文を書いていますが、やはりブレイクするのは戦後アメリカで著作の英訳が発刊されてからでした。タイムラグがありますね。ワロンも英語で書けたかもしれませんが、英訳されなかった。いろいろこれも歴史のいきさつがあって、ピアジェは永世中立国のスイス出身で、それで政治的にも割と中立的な立場をとっていた人だと思います。ワロンというのはフランスの時代からナチに対抗するためにレジスタンス運動とかずっとやってたんですけれども、基本的には左派的な、左の活動の闘士でやってきた人で、戦後もフランス共産党のかなり重要なポジションを占めたりして、つまりアメリカでは「レッドパージ」の対象だったんですね。だからアメリカがワロンのものを英語に翻訳して中に入れるということは検閲にもかかったでしょうし、そもそもあまり関心を持たれなかったという可能性はあります。

 

 

 

やはり戦後のアメリカのもつ学術とか文化とかいうものの占める位置というものは本当に大きいですね。

 

 

 

川田:そうですね。だからアメリカで本が出されるかどうかというのがやっぱりその影響力を左右しますよね。

 

 

 

なるほどね。確かにワロンさんの本を読むとソビエトの子どもたちの班活動とか、共同体のありようみたいなものを褒めたりされてますね。

 

 

 

川田:そうです。

 

 

 

ああ、やっぱり時代だな、という風に思いますけど。「懐かしい、ソビエトかあ」みたいな(笑)。実際、ソビエトなんかにも行かれた人なんですか?

 

 

 

川田:どうでしょう、たぶんソビエトは行ってないんじゃないですかね。わかりません。

 

 

 

では聞き書きで?フランスの共産党を通して聞いた話などから?

 

 

 

川田:じゃないかな、と思いますね。ワロン自身がソビエトまではどうかなあ?あまりそこまではわからないのですが。最近、去年でしょうか、『アンリ・ワロンその生涯と思想』という本が出されたんですよ。

 

 

 

アマゾンでタイトルは見ました(笑)。

 

 

 

川田:それは僕とか、村澤(和多里)さんとか、あと村澤さんの先生の間宮(正幸)さんとかの知り合いである加藤義信先生が書かれたんですけど。彼はフランス語が堪能で、日本で数少ないワロンの原典に当たりながら研究されてきた発達心理学者です。彼が退職するタイミングでこれだけは出しておくという本のようですが、それを読むとですね、ワロンという人の生い立ちから彼の理論的な背景にあるいろんな物の考え方とか、そういうものがすごく勉強になる本なんです。

 

 

 

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「シェル・ショック」―戦場ショック,砲弾ショックともいう。戦場において受ける強い心理的ショック。自制心,記憶,発語能力,視覚などを失い,判断力が著しく低下する。比較的慢性に現れた場合を戦闘消耗 combat exhaustionと呼ぶ。(ブリタニカ国際大百科事典より)

 

『アンリ・ワロンその生涯と思想』