政治にも届く本として存在する

 

杉本:そうなるかどうかっていうのは、本当にここのところの政治の私物化みたいなことを考えると。当然、なっていてもおかしくないというか。端的に言ってしまえば、湯浅誠さんの『反貧困』、派遣村騒動があったことなどもあり、民主党が政権を取ったことはけっこう大きいですよね。

 

金子:そうですね。

 

杉本:あと小沢一郎さんがうまく保守的な庶民を取り込んだというのもありますけど。だから僕としてはこういう社会保障系の本を読んだり、労働問題系の本を読んで即座に政治のことを考えたのは、やはりこの本なんです。あと、2008年当時は湯浅さんの『反貧困』だったんですよね。だから「ああ、政治に届くような本がようやく出てきたな」っていう感じがしまして。他には当時、宮本太郎さんの岩波新書の本もずいぶん一生懸命、感銘して読みましたけど。僕もちょっと変わっちゃったんですよね。アクティベーションもいかがなものかな?と。変わっちゃって()今はそういう感じ。あまり労働意欲が無くなったせいもあるのかもしれないけど。あんまり包摂されてないんじゃないかと思っちゃって。意味を感じなくなって。湯浅さんも変わってしまったというのもあり。

 

金子:政治とは遠いですが、現場ということでいえば、私もNPOにちょっと関わっているんですよ。

 

杉本:はい。

 

金子:ホームレス支援をやっている「ほっとポット」という団体なんですけど。卒業生たちと一緒に作って、立ち上げのときからずっと役員をやっています。で、そこにこの大学から実習生を送り出すし、卒業生を職員として迎え入れたりするし、けっこう関わりが深いんですね。事業の内容は、「宿泊所」と呼ばれるグループホームみたいな、施設ではなくあくまでシェアハウスみたいなものを何棟か持っていて、民間の借り上げでやっているんですけども、住居がない人にグループホームのような形で利用してもらっています。住所があれば生活保護をもらって、とりあえず住所を定めることで、そこからいろいろ支援をして、アパートや就労の自立に導いていくことができます。つまり「もやい」のような支援団体と同じことをやっているんです。で、埼玉にはあまり無いので、2O06年に作って、わりと注目されてきた部分があって。その後反貧困ブームがあって、派遣村があったり、派遣切りの問題がクローズアップされて。湯浅さんがあの本を書いたのが2008年ですよね。

 

杉本:そうです。

 

金子:それなので、「ほっとポット」もテレビに取り上げられたりして、ある意味ちやほやされた部分があったんですよ。そのあと民主党が政権を取り、2009年ですよね。

 

杉本:はい。

 

金子:国政をこけた後、県内もすごくダメになって。一気に保守政治に変わったんですよね。県や市から「貧困ビジネス」の疑いをかけられ、市議会から指導や視察を受けたり。市もすごく細かい設置基準を作ったんです。すごく保守的な市会議員がいて、生活保護を食い物にして利益をあげているNPOがいるってことで、バッシングされました。そうすることで市民の支持を得られると思っていたんでしょうね。ともかく、そういう政治紛争に巻き込まれちゃったんですよ。

 

杉本:うーん。そうか……。

 

金子:そういう政治に振り回されて、挙句の果てに住宅扶助基準を中心に、生活保護の基準削減になった。それは国の動きですけどね。基準削減がOKになると、次々と生活保護のカットが始まっていきましたね。安倍政権は最初から生活保護費を削減するって公約で言ってましたし。

 

杉本:そうでしたね。

 

金子:削減されるとNPOは運営費が減額されることになっちゃうので経営困難になります。住宅扶助から家賃をもらってグループホームを運営しているので。利用料を頂き、職員を雇っていますから。本当にギリギリでやってきたんです。ですから何千円か住宅扶助費を減らされるだけで職員のボーナスが出せないという事態になってくるんですよ。

 

杉本:あぁ……。

 

金子:そんなすったもんだがありまして。それが2013か14年くらいまで続いたのかな。2010年くらいから14年くらいまで、3~4年政治に振り回されたんですよ。リアルな政治に。

 

杉本:そうでしたか。

 

金子:それで気づいたのは政治的な運動をすることは大事なのだけれども、上手く立ち回るのには相当な気配りとか、人脈とか、力がないと出来ないというふうに思いましたね。ですから、社会運動の気持ちはあるとしても、リアルな政治、すなわち闘争にはあまり関わりたくないという個人的な思いを強めました。メディアも同じなんです。派遣村をやっていた頃はNPOにすごい取材が来ていました。ニュース番組とか、ちょっと脚色されて報道されることが多い訳ですけど。生活保護バッシングが流行って、状況が変化したあとは全然取り上げてくれなくなってしまった。けっきょくマスメディアも市場に乗っかっているんだなって思いを強めましたね。

 

杉本:そうですね、メディアはそういうところがありますよね。

 

金子:で、政治とメディアは嫌いなんです。

 

杉本:リアルにメディアにも痛い目にあって。

 

金子:そうです。

 

杉本:いやでもメディアも怖いですよね。

 

金子:怖いというか、信用なりません。

 

杉本:要するにマスに理解してもらうってことの難しさですよね。そうするとゲリラ的に分かる人から始まっていくしかないのかなっていうのもありますね。

 

 

両サイドを描く曖昧さが大事

 

杉本:でも同時に先生の本に戻りますが、関係性の貧困とか孤立無援のことも広義の貧困の問題として捉えて大事なこととは言いつつ、もっと大事なのは生活できるだけの必要なお金。これが根本的に大事と書かれているじゃないですか。そこは僕自身はリアルで深刻な問題としていまのところは無い部分で。でも将来不安としてはひきこもりの人たちも下の世代であればあるほど出てきていると思うんです。そこは自分自身の問題としてはあまり無いので。やはり本当に貧困の人たち、生活困窮の人たちの当事者と違うところとして、自覚しておかねばならないだろうと思います。

 

金子:そうですか。

 

杉本:関係性の問題とか排除の問題ということは「まさに、まさに」と思うけれども。食べられない、住む場所を失うかもしれないことに対しては…。ただ家族も母が認知症がだいぶ進んでいるので、認知症の親を観るのはタイヘンだと思っていますし、僕ひとりになるのはそんなに遠い話ではないと思います。とはいえ何だかんだいって、つつがなくこの歳まで来たので。極端にパニックになる現実はいまのところ考えにくい。社会サービスを使えば何とか母親にも使ってくださいというようになりますけど。今すぐにタイヘン、例えばこの本(『ここで差がつく 生活困窮者の相談支援:)』―中央法規)で出てくる事例の困窮者相談もそうですけど、本当に何が飛び出してくるか分からないような話や相談が来るじゃないですか。

 

金子:うん。

 

杉本:そういうものとは自分自身そこまでのものはないなって改めて思いましたね。本質的に。でも相対的貧困と言われる年収約120万以下の人たちが人口の6人に1人になって、2000万人近くの人がそうだってことは全く普通の社会問題になっているってことですよね。

 

金子:そうです。

 

杉本:あやういというか、何かひとつピースがはずれるとドドドドって崩れちゃいかねないような微妙なラインの人たちがたくさんいる。

 

金子:両方書いちゃっているんですけどね。そういった極めて貧困な話と、人間関係、社会関係の貧困も大事だって言い方もするし。まぁ曖昧ではありますね。でもその複雑性が大事なんですよね。

 

杉本:ええ、まさに。

 

金子:そこを単純化したら違いますよね。

 

杉本:そう思いますね。元々、困窮者支援制度も最初は、湯浅さんが民主党時代に提案したパーソナルサポーター、伴走支援ですか。それをやろうというところから話は始まっていると認識してますけど。釧路の櫛部さんから聞いた話だと、途中から関係性の貧困みたいなことや社会的排除論みたいなことは分かりにくいと言われて、経済困窮の話の方に徐々に特化されている状況なんだよねという話を途中経過の段階で聞いていたので。だからおそらく議論が途中から変わっちゃっていると思うんですよね。困窮者支援の話も。僕はそう認識しているんです。

 

金子:なるほど。その「ゆがみ」は法律を良く読むと各所にあらわれていますね。

 

杉本:とっかかりの時と。それで最終的には野田政権から安倍政権に変わってしまった時期なので、法案が出来たときは。おそらく有識者懇で話し合いを、宮本太郎さんが説明して話し合いをした当初とは、ずいぶん違うものになったんじゃないですか?奥田知志さんの最後の方とか、櫛部さんもそうですが、けっこう当初の話と違うんじゃないですかみたいな。最終案が出た後、振り返りのときに最初のものと違ってきてるんじゃないかという異論が出てたと思います。

 

金子:やはりあれだけの力がある人たちでも、過程の中で政治にねじ曲げられてしまうというか。悔しいですよね。

 

杉本:その頃、反貧困運動をやっている人たちは生活困窮者支援は水際作戦に変わるものという言い方もされましたよね。本来は生活保護を充実させるべきなのに、困窮者支援制度という言葉を借りて生活保護を受けさせないものにしようという動きだという批判はありましたよね。

 

金子:ぼくもそう書いています。埼玉は、まさにそうなってますね。

 

杉本:なるほど。今は例えば困窮者支援の任意事業の形で続いているんですか。

 

金子:「ほっとポット」がですか?いや、生活困窮者自立支援法の事業はまったく委託していません。

 

杉本:ただ先生の仰っている居宅支援も、いったんそこに住所を定めて、生活保護が受給されることが決まったら、例えば別のアパートに移って、単身で生活できるようにしたりとか。そういう支援活動を元々されているわけですね。

 

金子:そうですね。でもあんがい一人では不安なので、ずっとここにいたいとか。グループホームで暮らしたいというかたは多いんですよ。

 

杉本:ああ。でしょうね。

 

金子:そういうニーズは多いのでそのままずっといるということも、けっこうありまして。

 

杉本:そうすると新しい人は・・・。

 

金子:新しい人は入れなくなっちゃうんですけど。

 

杉本:うーん、そうか。でも機能は果たしていますよね。

 

金子:そうですね。長くそこで暮らしたいというニーズには対応できていますね。ということは、そのニーズに応えるためには、生活困窮者自立支援制度の住居確保給付のように、離職を理由にホームレスになった方を対象に、3ヶ月という短期間だけ保障をすればいいということではなくなるんですよね。ましてや、「承認」や「排除」という問題を中心に居場所確保をすればOKということではなく、やっぱり生活保護のような長期的な安定収入と住居の保障が重要になるはずなんですね。

 

 

 

社会的損失を防ぐ提言をしたい

 

杉本:では、そろそろ今後についてお聞きしたいのですが。先生自身、こういう本を上梓されて。その思いとか、今後考えていることとかありましたら。

 

金子:思いですか。そうですね…。次世代みたいなことをどこかで書いたのですが。ト書きかどこかで。そこで社会的損失という言い方もしたのですが、損失と言っても経済的な損失を言うつもりはなくて。社会にとってどれだけ、この貧困の放置がダメージになっていて、次の世代というか若い人とか、次の人たちに悪影響を及ぼすことになっているかというのを考えると、ちゃんとしておきたいなという思いが強いですね。

 

杉本:まったくその通りですね。何でこんなに金儲けとか、個人主義的な…。いや個人主義というものを欲していた部分はあったとは思うんですね。特に80年代はひじょうにありました。すごく言論の世界というかサブカルチャー言論近辺なのかもしれないですけど。ぼくら若い人の中に共同体・ムラ社会が嫌だ、みたいなノリがあった。連帯という言葉が死語になりつつあって、ダサくて、鬱陶しい言葉だというのがあって、個人主義がいいんだ。だからそういう前提があったから、2000年の小泉政権のときの自助努力のスローガンとか、小泉純一郎というキャラクターとか。あと経済的には竹中平蔵路線というのが、いわばちょっとラディカルで面白いと。日本社会の空気に・・・。

 

金子:新しい。

 

杉本:変化をね、見せるんだみたいな。ちょっと危険だなと僕なんかは思っていたけど。いちおう社会福祉士の勉強をやっているから、「えー大丈夫?」と思いつつ、何か大きな変化が来るのかなと思ったら。ホリエモンみたいな人が出てきて、金を儲けて何が悪いんだという人が出てきちゃった。だからそこから先、日本に遅れたサッチャリズムでドーンと自由主義なやり方で。で今、安倍政権はそこに戦前保守的なものを上に乗っけながら、一緒に機能して動いているというか。いったん出来た民主党鳩山政治はけっきょく歴史的にどういう立ち位置だったのかな?って思ったりもするけれども。いまは仰るとおり、人が損失していくばかりですよね。

 

金子:そうだと思います。長期的にはこんな社会は続かないですよ。人間社会が続かないはずです。

 

杉本:イギリスもどうでしょう?今、保守党政治が続いてますよね、労働党政権が終わった後に。

 

金子:同じことをやってますけども、少し日本よりは溜めがあるというか。社会保障の溜めがあるから削減されたとしても日本よりはダメージは少なくて済む。

 

杉本:70年代の前半って、すごく福祉を目指したんだけどな。日本も。

 

金子そうでしたが、男性稼ぎ手モデル世帯とか、終身雇用を前提とした福祉でしたけどね。

 

杉本:保守政治の中で()。うーん、これはやっぱり市民社会とか人々の意識のありようの違いに由来するものでしょうか。

 

金子:どことですか。イギリスとですか。

 

杉本:はい、イギリスです。西ヨーロッパと言ってもいいのかもしれないですけど。

 

金子:そうだな。基本的には「文化の違いではない」と書いたような気がしますけれど。

 

杉本:むしろ構造上の問題として捉えているような気がしました。

 

金子:そうですね、そう考えているつもりです。

 

杉本:ただ、たしかに労働者運動というものが持っている歴史的な基盤はヨーロッパと日本はかなり違いますよね。

 

金子:ええ。

 

杉本:で、韓国と日本ってすごく、いろんな意味で似ているような気がするんですけど。社会保障制度も、大学の奨学金の問題も。もっとシビアというか、もっとキツイというか。かつ今の文さんでしたっけ。韓国野党政権が目指す経済システムに対する考え方は(2018年5月現在)分からないですけど、いちおう政権を握って、どう考えているのか分からないですけど。今までは日本よりもっとシビアに新自由主義的にやってきたところがあったじゃないですか。ただ韓国って大統領がひじょうにキツイ運命を辿るという意味では、そうとうラディカルな、政治に対してラディカルな国民意識がある気が……。

 

金子:運動もそうですよね。そこはずいぶん違いますね。面白いですね。

 

杉本:そうすると政治をやる人が「怖がるような市民」にならないとダメですかね()

 

金子:ああ。やっぱり、そうですかね。

 

杉本:待っていてもダメなのかな。

 

金子:うーん。どうなんでしょうね。

 

杉本:でも政治はキツイだろうな。市民側に立っている政治家は。口で言うのは簡単だけど、実際にやってごらんよ、って話ですね。

 

金子:そうです。板挟みですからね。

 

杉本:うーん、まさに板挟み。やはり市民側からすれば、要求をちゃんと代弁してくれてるんですか?って言われるし。政治家は政治家でものすごい・・・。

 

金子:すぐ成果をあげないと絶たれちゃう。

 

杉本:そうですよねぇ。僕のカウンセラーの人も政治社会に対する関心が元々強い人で。最近、お歳のせいかどうか分からないですけど、日本はラディカルにやらないことがいいところなんだ、みたいなね。聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しとなす」の中の「和」というのは、「和(やわ)らぎ」なんだと。要するに平和、いまの憲法の精神は聖徳太子の時代から持っていて。古くは長い長い縄文時代から持っている。日本人はそういう対立を避ける民族性で。その先生は若い時はラディカルな思想家の感じがあったんですけど、最近はそういうようなことを言いますね。ただ、それが現に格差社会の中であえいでいる人に届くのかというと…。まぁ僕のような人間は、なるほどねと頷けるけど、「何をぬるいことを」って思われかねませんね。

 

金子:そうですね。

 

杉本:文化論で回収しちゃったら。

 

金子:授業でもそれを感じます。なんでこうなっているのかという構造的な話をいかにエレガントに語ったとしても、学生はもっとリアルな困窮状態で生きているんで。

 

杉本:そうなんですか。

 

金子:あまりそういう構造的な話は共感というよりは、「だから何?」という。

 

杉本:縁遠い感じにも聞こえるのかな……。響かない、みたいな。

 

金子:そうです、そうです。

 

杉本:自分の現実との乖離がある。

 

金子:そうなんです。

 

杉本:年齢のことも当然ありますけどね。10代から20代の前半のうちに俯瞰して社会を考えるって、なかなかそんなにはできないし。

 

金子:やっぱりそうなんですかね……。

 

杉本:それこそある意味では恵まれていて、かつ社会問題を考えることができる土壌の中に育った若者でないと、ちょっと難しいかもしれないですね。

 

金子:人口が減って、大学は増えてますからね。昔は大学に来なかった層までみんな大学生なんだから、余裕がない人が多くなるのは必然ともいえますね。

 

 

 

人間社会本来の姿への揺り戻しがあるはず

 

金子:「和」を以てではないんですけど、けっこう文化人類学みたいなものに興味があるんです。人間が上手く生きていくための不思議な見えない仕組みみたいなものがあるような気がしていて。

 

杉本:うん、うん。

 

金子:だからこんな新自由主義とか市場経済みたいな方へ過剰にブレたとしても、いつかもうちょっと人間的な、人間社会の本来の姿への揺り戻しがあって、そこが例えば相互扶助であるとか連帯とか贈与とかといわれるコミュニティの原理に再び戻っていくんじゃないかなという淡い期待を持っているんですけども。

 

杉本:僕もそれは感じるというか、そういうものの小さな萌芽みたいなものは、Twitterなどをやっていると、やはり見えますよね。

 

金子:そうですよね。

 

杉本:贈与経済的なものとか。正直自分はなかなかちょっと馴染みがなくて、入っていけてないんですけど。正しいんだろうなとは思うところで。ゼロ円交換経済とか。自分も考えさせられるのは、要するに「欲望ってそんなにありますかね?」っていうふうな形で若い人から言われたことがあったりして。ハッと思ったりとか。確かにそんなに物欲を満たさなくちゃいけない渇望感みたいなものが必要な時代なのかなと。さっきの話を蒸し返すみたいですけど、そういう若い人も正面からの対抗論理というよりも、少し土壌をずらしたところで物を考える人も出てきていて。

 

金子:若い人からそういう潮流を感じます。

 

杉本:マイノリティゆえに少し屈折の深いところから出てきているというよりも、もうちょっと自然体で持てている人が出てきている印象もあって。いまは少数でしょうけど。そういう人たちが相互扶助の考え方に、「そうですそうです」というようなこともある。文化人類学の考え方に共感する人が増えてくるような。最近はよく縄文時代の再評価が。縄文には戻れないと思うけど、長い平和みたいなものに対する憧れ。AIとかは不可逆的に進まざるを得ない。ある面で人間のもう一つの本能としてやる人はやっていくし、それを活用してビジネスをしたい人はビジネスしていくという流れは変わらないけど、それはそれとして、そうなったらやはりベーシックインカムみたいなことを考えざるを得ないでしょう、という。

金子先生は生活に対する考え方として、そこで普通の人の労働というものが無くなったときどうするのか?ということも併せて書かれていますよね。そのときにどういう形になるのか分からないけど、人間が本来あった感覚であるとか。今は何だかんだ言いながら、物欲、金銭欲に僕も足を取られてしまっている。まして若いうちから借金を抱えちゃったら、どうしても頭から逃れられない負債ですよね。

 棒引きしちゃえばいいんですよ()。そうしたらずいぶん楽になると思うんだけど。

 

金子:そう、「降りる」ということですね。

 

杉本:やめちゃえよって()。勉強することに何でそんなにお金が必要なんですかっていう。まぁ教える側はタイヘンでしょうけどね。今は非常勤講師の人とか、お金にならないらしくて。一日何時間も一人カラオケ状態をやってヘトヘトで、それで年収100万いくかいかないかって話も出てきちゃうと。

 教えることの喜びと、それを学んで継承する喜びみたいな。教え教えられ、またそれを次に教えるという伝達の技法みたいなものがあった方が楽しいんじゃないかと思うんですけどね。それが形は違えども文化人類学的に言えば、伝統の継承みたいなものになっていくのかなと。大人が子供に伝えて、子供が大人からそれを受けて、また次の世代へ伝えていくみたいな。人間って生まれて、死んでいくわけだけど、僕ら現代人は「何で生きているんだろう」とか、「死んでしまいたい」とか。僕は死ぬのがとても怖い人間だからそれは思ったことは一度もなんですけど。きっとあると思うんですよね、そういう命に対する何とも言えない「寄る辺なさ」みたいなものがね。かつては無かったと思う。まぁ寿命も短かったと思うし、だから情報も少ないし、継承されるものも伝統に従ったものだろうから。

 資本主義って究極的には欲望を発見させていくというか。自分で気付かなかった欲望がここにあるっていうものを提供していくっていうかね。まさにポルノのように今まで自分が知らなかった欲望がここにあるぞって。お金を払ったら見せられまっせ、みたいな。提供できますよみたいな形でどんどん来ちゃって。それでお金が儲ければ、この資本主義社会の勝負で勝ったみたいな話だけど。正直、何が楽しいのであろうかという。普通の労働者の人は楽しいも楽しくないも生きていくためにはしょうがないと思って働いているんでしょうけど()。始めた人たちは……。

 

金子:やっぱり日本は貧しかったんでしょうね。貧しかったからこそ、バブルみたいなものに憧れた時代があって。でもやっと落ち着いてきたというか。そうではない豊かさとか幸せみたいなものに若い人は気付き始めているところは希望ですよね。それと、大学はほんらいそういう文化や思想の継承をしてきた場所であり、「経済人」を養成する場所ではなかったはずですよね。教え、教えられることの喜びが基本にあったはずですし。

 

杉本:いまの若者はバブルを知りませんもんね、本当に終わってますものね、完全にね。だから、いくら上の世代がワーワー言っても、ピンと来なくなる時代がチャンスかもしれませんよね。

 

金子:そういう意味で、大学や教育のあり方も問われているし、政治や地域の方向性も問われていますね。ありふれた言い方ですが、グローバルとローカルの同時進行ということでもあるような気がします。グローバル市場化と競争、バブルの拡大がつづくのと同時に、もっと地に足の着いた暮らしや良好なコミュニティをつくるための革命が必要ですね。

 

杉本:むしろ競争よりも、どう仲良く平和にやっていくのかってことかな。そういう意味では先生のされている研究のこの書物というのはひじょうに参考になるかと思うんです。

 

金子:ありがとうございます。

 

杉本:それではこの辺りで、ありがとうございました。

 

金子:どうもありがとうございました。

 

 

 

2018.5.22

立正大学さいたま熊谷キャンパスにて

 

*アクティベーションー公的サービスを拡充しながら所得保障と雇用を連関させる政策。

 

金子充 

1971年東京生まれ

1997年4月
2000年9月
明治学院大学大学院 社会学研究科社会学・社会福祉学専攻 博士後期課程単位取得満期退職
現在 立正大学社会福祉学部教授(社会政策論、公的扶助論)
2006年より住居喪失者や生活保護受給者の支援を行うNPO法人「ほっとポット」幹事

インタビュー後記

 

 

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