『迷子の時代を生き抜くために』

 

杉本 山下さんは何年に不登校新聞の編集長を降りたのですか?

 

山下 2006年の夏ごろでしたね。それで、編集長を退いたあとに、いったんきちんとふり返って、ものを書きたいなと思って、2007年くらいにまとまった原稿を書いたのが、『迷子の時代』の草稿でした。当初は、自分の整理のために書いていたので、出版しようとは思ってなかったんですよね。不登校新聞社の理事や論説委員の方など、10人くらいの人にコピーして送って読んでもらったんです

 

杉本 10人くらいというのは、どなただったんでしょう?

 

山下 奥地圭子さん、小沢牧子さん渡辺位(たかし)さん、芹沢俊介さん、などなどですね。それに応答してくれたのが、小沢牧子さんや渡辺位さんだったんです。草稿に意見をくださって、お話しさせていただいたりするなかで、さらに考えて、本の原稿にしていきました。そういう経緯もあって、おふたりには、出版時に帯に推薦文も書いていただきました。

 

杉本 石井志昂さんにうかがったところでは、不登校新聞は、その後、部数が落ちて休刊危機になったとき、問題意識を先鋭的に考えていく路線よりも、読者が共感できる紙面に変えていこうという話のようですね。ただ、これまでのお話のなかでも思うのですけれども、不登校について、不登校当事者やご家族の思いを発信することも必要ですが、それ以上に社会構造の問題として、非正規労働の問題とか、若い人の生きづらさの原因を問わずに、個人化されていく社会の側の問題が背景には大きくあるわけで。そこには21世紀的な問いもあるわけですよね。それが大きな問題として出てきていると、僕も思うんですね。とくに、『迷子の時代』を読んで、そう思いました。ただ、世情はいまも変わらず、僕自身も抜けられない問題設定だと思ってるんですけど。不登校新聞の編集長としての後半には、そういうことを書かざるを得なくなったということが出てきたのでしょうか?

 

山下 私の問題意識は、かならずしも当事者性から来ているものではないですね。当事者性がないわけじゃないというのは、先ほど話した通りなんですが、むしろ不登校から、自分自身が問い直され、自分自身の置かれている社会のあり方を問い直してきたところがあります。なので、不登校そのものをどう考えるかということについては、自分の関心が薄いのかもしれないですね。

 

杉本 当事者そのものではないと。そこは石井さんとはちょっとちがう。

 

山下 石井さんがどうかわかりませんが、不登校の苦しさをわかってほしいとか、社会に理解してほしいというようなスタンスは、私にはあまりなかったのかもしれません。

 

 

 

不登校、ひきこもり「から」見えてくるものを考えたい

 

杉本 そこで紙面構成を考えていくのに、葛藤は感じなかったですか? 不登校新聞は、当事者の子が読むかどうかはわからないですが。

 

山下 まあ、読むのは親御さんか、あるいは祖父母の方が多いでしょうね。

 

杉本 親御さんとかが読む内容としては、ちょっと問題意識や社会性が高すぎて難しくなっている、みたいなあたりはどうですか。

 

山下 それはあったと思います。だから部数が減ってしまったという面もあったかもしれませんね。

 

杉本 それは葛藤としては感じなかった?

 

山下 葛藤はありましたよ。部数が減っていくのはしんどいですからね。その後、部数を回復させたのは、石井さんや現在の編集部の人の努力によるものですし、それはすごいことだと思うんです。ただ、休刊危機になる前に、親御さんが共感できる記事がなかったかと言えば、そんなこともないだろうと思います。ただ、休刊危機以降は、読者が共感できる記事を徹底するという編集方針にした、ということだと思います。

 

私自身は、「不登校を考える」ではなくて、「不登校から考える」ということを、基本的な見方としてきました。ひきこもりの場合も同じですね。不登校を考えるとか、ひきこもりを考えるということだと、いまの社会を前提として、そこからこぼれる人の問題をどうしよう、となってしまいがちですね。そうではなくて、不登校やひきこもり「から」、いまの学校や社会のあり方を問い直す。そうすると、それは当事者だけの問題ではなくて、いま同じ社会に生きている私たちの問題として考えられる。

 

別の言い方をすれば、不登校にしても、ひきこもりにしても、「彼ら」の問題じゃなくて、「私たち」の問題なんですね。線引きされた片方だけの問題ではない。それは、どのようなマイノリティの問題でも同じだと思います。障害者が困っている社会というのは、その同じ社会のなかで私たちは生きているわけで、障害者だけが困っているわけではなくて、そういう価値観でできている社会のなかで、マジョリティの人たちも苦しんでいる部分がある。もちろん、そこには不平等や差別や偏見があって、マジョリティが得している面もあるわけですが、いっしょに考えられる回路をつくっていかなければ、結局は他人事になってしまって、当事者がどうしたらいいかという問題にしかならない。問いはマジョリティに向けて反転させないといけない。ただ、それは耳の痛い話をずっと続けるということですから、嫌われやすいというか、煙たがられますね(笑)。

 

杉本 (笑)そうですよねえ。

 

山下 心地のよい話にはならないわけですね。多くの親の人たちにとっても、耳の痛い話になる。

 

杉本 安心感につながるかと言えば、なかなかそうはならないですね。

 

山下 広く共感を呼ぶのかと言えば、難しいところがあるでしょうね。

 

杉本 まさに。

 

 

 

お金をもらって「いっしょに考える」は難しい

 

山下 不登校にかぎらず、社会運動のようなものは、「自分たちは仲間だ」と共感しながらでないと、やっていけない面はあると思います。でも、ややもすると、それが党派性を帯びたり、敵/味方のようになってしまう。私は、そういう党派性みたいなものが、とても嫌いなんですよね。自分が関わっていることでも、党派性を帯びてくると、とたんにイヤになってしまう。

 

杉本 なるほど(笑)、だから自己反省しつつ行かざるを得ない。

 

山下 頭が文学に毒されたせいか、何ごとにつけ、正解があって、そこにまっすぐ進むという感じは肌に合わないんですよね。物事はそう単純じゃないし、不条理や矛盾に満ちているなかを、右往左往しながら生きているものでしょう。

 

杉本 常に両義性(アンビバレンツ)があるというか。山下さんは子どもや若者の居場所のようなものを開いているわけだし、年齢の幅はあるんでしょうけど、そういうことをやっている。運営者の側面もあるじゃないですか。

 

山下 ええ。

 

杉本 そうすると、その場を維持するために大人としての経営とか、継続するためにどうしたらいいかという側面はありますよね。それは、石井さんが不登校新聞を続けていくためにどうしたらいいかと考えるのと同様のものとしてあるでしょうし、ではあるけど、安易な方向性には行かないというというところがあって、なかなかしんどいですね(笑)。

 

山下 しんどいですよ。経営的なセンスはゼロどころかマイナスです(苦笑)。

 

杉本 でも、そこがすごいなと思うんですよ。もう少し楽な方向もありそうだと思うんですけど。

 

山下 そうですね。私はフォロでは事務局長をしているんですけど、運営という観点からすると、赤字続きで、いつ倒れてもおかしくない状況なので、ほんとうにダメ事務局長です。

 

それと、運営するうえで気をつけていることとしては、ある意見で一色に染めないということですね。たとえば、2015年に教育機会確保法案が浮上したとき、私は先頭切って批判したんですよね。

 

杉本 ええ。

 

山下 その際、あちこちでNPO法人フォロ事務局長の肩書きで発言はしていましたけど、でも、フォロのなかで意見を統一していたわけではないんですよね。実際、フォロのなかでも「よい面もあるんじゃないの?」という意見もありました。それを統一しようとは、まったく思いませんでした。

 

杉本 全員一致というのは怖いでしょう。ファシズムみたいでね。全体主義になっちゃって。

 

山下 意見のちがいや、さまざまな矛盾や葛藤は、きれいにまとめないほうがいいと思うんですよね。それは、関西に移ってから学んだことかなと思います。関西の人というのは「私は私、あなたはあなた」というのが前提になっていて、一致できるときは一致するけれども基本は別、という感覚が土壌にある気がするんですね。だから組織は大きくなりにくい。集まっても、すぐにバラけて、それぞれで勝手にやって、なんとなくつながっている。私は、そういうほうがいいんですよね。だから、ひとつの組織のなかで意見を一致させて表明するみたいなのは、息苦しい。

 

ただ、お金の面での運営を考えると、もっとわかりやすく、スッキリしていたほうがいいんでしょうね……。

 

杉本 そうでしょうねえ……。

 

山下 少し話はズレますが、『迷子の時代』を書いたとき、読んでくださった方が、「私は学校信仰の代わりにフリースクールを信仰していたんだと気づいた」と感想をくださったんですね。子どもが不登校になって、なんとしてでも子どもを学校にもどそうとするのが「学校信仰」だとすると、学校の代わりにフリースクールに通わせれば正解と思うのは、「フリースクール信仰」ですね。そういう信仰や幻想を引き受ければ、経営は安定すると思うんです。ある種の幻想を売れば、それなりに経営は安定すると思うんですよね。

 

杉本 不登校のみならず、ひきこもりについてもおんなじですよね。

 

山下 そうですね。でも、私はそれもイヤなんですよね。幻想を売って商売するのは、口悪く言ってしまえば、詐欺じゃないですか。

 

杉本 産業ですね。

 

山下 私は、幻想を売らずに、あくまで、いっしょに考え合っていきたいと思っているんです。でも、そんなことにお金を払う人はいないわけですね。お金を払うのであれば、その対価がほしいと思うのはあたりまえで、お金払って「正解はないけど、いっしょに考えていきましょう」なんて言われてもね(笑)。やはり「答えがほしい」と思うのは、人情としてはわかります。

 

不登校新聞にしても、答えを求めて購読してくださる方も多いと思うんですね。その気持ち自体は否定できませんが、読めば読むほどわからなくなってしまうのでは、購読も続かないですよね。

 

杉本 (笑)

 

山下 それでは、お金を払ってもらう商品にはなりにくい。

 

杉本 いっそう悩んでほしいところが本意でしょうしねぇ。よりいっそう、まだまだありますよ、というところで。ここがゴールじゃないですよ、というあたりが。

 

山下 もちろん、不登校の当事者が考え続けなくちゃならないということはないわけです。一時はすごく考えさせられたけれど、さっぱり忘れて、いまは社会で元気に働いてます、みたいなことでもいいわけですよね。だけど不登校に関わる人というのは、いま悩んでいる人、その渦中の人に関わるわけですから、ずっと考え続けざるを得ない。そこに立ち続けることになる。そのとき、私がそういう関わりをしていることが、下手をすると、そこから抜け出そうとしている人のジャマをしてるかもしれないと迷うときもあるんですね。

 

杉本 まあ、受けとめ方によってしまうのでしょうけれども…。

 

山下 人はどうしても共感し合いたいところがあるので、問題意識に共感し合うところもあるわけです。だけど、それはシビアなところもありますし、何も当事者だから考え続けないといけない、ということではないですよね。それでも考え続けようというのは、当事者性というよりは、もう少し別の、何らかの意志が必要なのかもしれないと思います。そのあたりは、常に迷いがあるところですね。

 

杉本 うん、わかりますねえ……。

 

山下 私の言っていることに共感してくれるのは、「考え続けちゃっている人」が多いのかもしれません。杉本さんもそうかなと思いますけれども。

 

杉本 ほんとうに、僕も自分でもどうしてこういう回路になってしまうのかわからないんですけど。わかりやすい答えでGO!というふうには、どうしてもなれないですね。

 

山下 「中2病」ではないですけど、「わりきれない病」みたいな。でも、そういう人たちというのは、たぶん昔からいると思うんですよね。それこそ漱石の小説なんか、そういう人ばっかり出てくる(笑)。「高等遊民」とか言っちゃってね。

 

 

 

自分のやっていることが正しいと思っている人は怖い

 

杉本 ちょっと、僕の話をさせてもらっていいですか。僕の場合、学生時代に宗教マインドコントロールの経験があるんです。それは、その前の10代の思春期の病理性が高かったころとは、また別の経験なんですね。後天的に勉強して、自分のほうからマインドコントロールの世界に入っていった。で、そこを逃げました。逃げたけど、まだ宗教をやめたつもりはなくて、でも、組織の長としては怖くて戻れない。どうしたらいいでしょう、というところで、最初はぐるぐる精神科の先生をまわったんですが、答えを代わりに出してくれる人はいないわけです。ずっと、自分のなかに整理のつかないものがあって、しかも話の特殊性もありますから、そうそうわかりやすい話でもない。そこで出会ったのが精神分析という方法でした。

 

山下 精神分析ですか。

 

杉本 そうです。頭に浮かんだことを話して、無意識を探る方法ですね。いまも月1回、療法家の先生に会ってます。ただ、フロイト的な無意識の話がどうこうというのは、だいぶ過去の話になっています。ただ、いまでも一貫してあるのは、自分という存在がそんなに信用できるものじゃないということです。だから意識化できないその人の欲望が力を持つと考える精神分析に惹かれたんです。

 

 一方で、何年もぐるぐる自分の問題が解けないこととは別に、現実の認識はそんなにおかしくはないぞ、と思い始めたんですね。あとになってだんだんわかってきたのは、ある種のメディア戦略なども含めた人々の全体性がどんどん高まっている、ということです。そうすると、世の中のほうもやはりどこかおかしくないか?宗教マインドコントロールが解けて、俗世の一般社会が正しいという答えは、とうていそうとは思えない。そのような考えはもう10年くらい前からあって、それに対する言葉としては、やはり山下さんの『迷子の時代』の言葉が格段で、なかなか安易に答えは導き出せないのじゃないか、と。時代そのものに迷いがある。まさに迷子の時代だなと。

 

でも、難しいですよね。いまだに自分自身も悪戦苦闘中で、いずれは山下さんにお会いできればと思いながら個人的なことをやっていたんですけど。もうひとつ言えば、ひきこもりということで活動の場とかに行っていたんですけど、内実が見えてしまうと、営利であれ非営利であれ、組織は怖いなと思うことが増えたんですね。どんな組織であれ。でも、そんなことを言えてしまうのも、母の認知症介護で多少大変なところがあるとはいえ、後顧の憂いがないからで、こういうかたちで個人的には自由に振る舞えるのですけど。ですから組織は怖い、所属したくないと言えるのも、ある種、特殊なゆとりのある人間のケースなんだろうとも思います。

 

山下 たしかに、そうですね。たぶん理想的な組織というのはなくて、人が集まれば、どうしようもなく生じてしまう問題というのは、あるんだと思います。でも、そのなかでもタチが悪いというか、怖いなと思うのは、自分たちのやっていることは「正しい」と思っている人たちです。自分たちは正しいと思っていると、そのために内部で抑圧したり、誰かを排除したり、何かを犠牲にしても、大義があるから仕方ない、ということになりがちですよね。それは、たとえば戸塚ヨットスクールに代表されるような矯正施設が、不登校やひきこもりを「治す」ことを正しいと思って、そのための暴力を正当化して、エスカレートさせてきたのと、ある意味では同じです。自分たちのやっていることはまちがっているかも、という自省が常にないと、あやういと思います。

 

杉本 まったく同感です。ただ、暴力性の部分は正義で超えてしまうと言うより、理性的な要因よりも動物的な側面が深い部分もあるのかなという気もしますね。後づけ的に理屈がやってくる、みたいな感じがしないでもないです。

 

山下 どうでしょうね。動物的な暴力性があるにせよ、正義を背負ってしまうと、それが正当化されて、エスカレートしてしまうという問題はあるように思います。

 

でも、組織はイヤだなと思いながら、組織を運営しているんですよね(笑)。だから、いつもつぶれそうなところでヒイヒイ言ってるんだと思います。たぶん、組織を運営しようと思ったら、自分たちのやってることを正しいと確信して、リーダーとしてグイグイ引っぱる人のほうが向いてますよね。それを常に疑っているようでは、ダメですよね(笑)。だから、どういう運営形態であればいいのかというのは、常に悩ましいですね。これも、正解はなかなかつかみがたいところがあります。

 

杉本 ほんとうに何でしょう? これも一種の信念として確立した人でないと難しいものかもしれないですね。

 

 

 

自由は「枠スレスレ」のところにある

 

山下 いまの話で思い出したのは、昔、不登校新聞でインタビューさせてもらった森毅さん(数学者)の話です。

 

杉本 ああ、はい。

 

山下 森さんは、自分が大学教員でもあったからだと思いますが、教師は自分のやっていることを正しいと思ったら危ない、影響をたくさん与えるというのは、自分に近づけることになるわけだし、危険なことをしていることでもある、だから、いくらかは悪いことしているものだと自覚しないといけない、と言ってました。

 

それと、枠スレスレが一番自由なんだと言ってました。枠からはずれてアウトローの秩序に入ると、逆にそこも厳しい秩序があったりする。枠スレスレのところが一番自由なんだけど、その境目が刈り取られてしまって、そういうことが難しくなってしまった、と言ってましたね。

 

杉本 ヤンキーの人たちなんかも先輩後輩の秩序とか、好きですもんね。

 

山下 そうですよね。でも、最初、この枠スレスレの話を聞いたときは、ちょっとどうなんだろう、と思ったんです。不登校に即して言えば、学校にもどるかどうかで枠スレスレのところにいるより、フリースクールみたいに、思いきり学校の外に出たほうが楽なんじゃないかと思って。でも、だんだん、森さんの言うように、外れきってしまうと、そこが正しいと思わないと不安になるから、かえって苦しいかもしれない、とも思うようになりました。枠スレスレでふらふらできるのが、一番自由なのかもしれないですね。

 

杉本 (笑)それはどこにあるんだろう? という気がしますが。

 

山下 まあ、そういうことが難しくなっているのは、たしかなんだろうと思います。学校について言えば、学校を相対化することは必要ですけれども、そのためにフリースクールなどを絶対化してしまうのでは、かえって苦しいですよね。

 

もうひとり、そのあたりで想い起こすのは、渡辺位さんですね。渡辺さんも、やはり、とらわれのないものの見方をしていたと思うんです。学校だけではなくて、大人が物事をある枠組みだけでとらえているがために、子どもの言っていることが聞こえなくなっていたり、見えなくなっていることに対して、渡辺さんは逆説的に相手の言うことを突いて、その見方をズラそうとしていたように思います。それが学校であれ、フリースクールであれ、その枠組みだけで子どものことを見ていたら、子どもと対話はできない。そのあたりは、渡辺さんからすごく教わったことだなと思います。

 

杉本 僕は存じあげあげない方ですが、もう亡くなられたのですか?

 

山下 10年前(2009年)に亡くなられたんですね。『迷子の時代』を出したのも2009年で、本の推薦文を書いてもらって刊行して、その数カ月後に亡くなられました。

 

杉本 急死されたのですか?

 

山下 いえ、だいぶお年でしたのでね。享年84歳だったと思います。

 

杉本 そうですか。ああ、児童精神科の先生だったんですね。

 

山下 そうです。国立国府台病院の児童精神科医長だった方ですね。その国府台病院で、73年に「希望会」という親の会を始めて、それが元になって「登校拒否を考える会」が83年にできて、そこから東京シューレが85年にできたので、奥地圭子さんや東京シューレの活動の原点になった方と言えるでしょうね。

 

杉本 奥地圭子さん自身が渡辺さんに救われた部分があるわけですね?

 

山下 そうですね。奥地さんは、くり返し、ご長男が渡辺さんと出会ったときのことを語っておられますし、深く信頼されてきたと思います。だけど、渡辺さんの言っていることと、奥地さんの言っていることというのは、少しちがうんですよね。当然ですが、渡辺さんはシューレとの関わりだけで精神科医をされていたわけではありませんし、シューレの文脈からだけで見ていると、渡辺さんの言っていることも、つかめない面はあるように思います。ほかの人の言説でも、シューレの文脈のなかにいると、どうしてもその文脈からだけで見ちゃうことは多いかもしれませんね。

 

杉本 それだけ東京シューレというのは、何だろう? 僕も札幌で親の会をやっている人から聞きましたけど、奥地さんのカリスマ性は最初すごかったと。そういう意味では、自分の子どもが不登校の問題に悩んでいる親の人たちにとって、奥地さんの果たした役割というのはとても大きいんでしょうね。

 

山下 それは大きいですね。

 

杉本 ただ、そこも歴史化されていくというか、時間が経てばある程度「親の会」というものの役割も変わっていくし、もともとの世代の人も徐々に年をとっていくし。むしろ山下さんとか、後発世代の人たちの考え方が……。う~ん。でも、いまの親御さんは、たとえば親の会とか東京シューレというよりは、そこからもう少し分化したフリースクールとか、適応指導教室とか、かつての登校拒否を考える運動からはだいぶ拡散しているのかな、という気もするのですけれども。

 

 

 

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*渡辺位 (わたなべ たかし 1925- 2009年)児童精神科医。元国立精神・神経センター国府台病院児童精神科医長。不登校問題黎明期から、様々な子どもたちと接する中で、当初は「学校に行かれるようにしなければ」と考えていたが、「子どもが学校に行かないのはそれなりの理由がある」ということに気付き、不登校を「悪いこと」と考えるのではなく、子どもが様々な可能性を発展させていく契機となると主張するようになった、と語る。 フリースクール「東京シューレ」及び主催者の奥地圭子氏との関わりも深く、国府台病院を定年退職後は東京シューレを中心に不登校・教育問題に関わる執筆・講演などで精力的に活動した。(Wikipedia参照)

 

*芹沢俊介 (せりざわ しゅんすけ 1942- )評論家。東京府出身。上智大学経済学部卒業。吉本隆明と親交を深め、文学論などから、教育論、宗教論、家族論などに論陣を張る。 近年は家族、養育に関する著作が中心である。グループホーム(養護施設)との関係から生まれた、養育論や、ひきこもり、児童虐待、少年事件、宗教等においても徹底的に考え抜くという姿勢で幅広く発言している。

 

また、ひきこもりに関しては、マスメディアで騒がれはじめた今世紀初頭から、徹底してひきこもることの必要性を訴え続けてきている。(Wikipedia参照)

 

*森毅 (もり つよし 1928- 2010)数学者、評論家、エッセイスト。京都大学名誉教授。数学・教育にとどまらず社会や文化に至るまで広い範囲で評論活動を行う。新聞・テレビなどのマスコミでも広く活躍。また、文学・哲学についても造詣が深く、『ちくま文学の森』『ちくま哲学の森』などの編集に加わった。