4050代のひきこもり当事者と老齢の7080代の親が同居し続ける「ひきこもり8050問題」は、ひきこもり長期高年齢化の象徴的な課題となっている。本稿ではシリーズとして、8050問題の渦中にある当事者がもつ課題や親亡き後の生き方を考えていく。第一回は対人恐怖が原因で不登校ひきこもりとなり、当NPO主催の自助会「SANGOの会」に参加した経験をもつ杉本賢治さん(58)に90代の認知症の母親との二人暮らしの生活や今後の課題などを伺った。

 

 

Q:現在の生活スタイルを教えてください

 

A:午前中だけの清掃アルバイトを週6日しています。日中は母親の面倒をみながらライフワークとなっている有識者インタビューのための準備で本を読んだり、インタビュー起こしをしたり、編集作業などをしています。

 

Q:ご両親との関係はどのような状況ですか

 

A:3年前に父親が他界し、現在93歳になる母親が認知症のため訪問介護を受けています。認知症は徐々に進行していくため、現実に即さない母の認知機能低下という状況変化に直面させられ、戸惑いがありますね。2015年から続けてきた有識者インタビューで様々な研究領域の実践者、研究者との対話をホームページに掲載する作業をすることで社会とつながっている感覚が救いになっています。また訪問介護支援者とのやりとりもある。認知症や「老い」を考える機会が格段に増えました。

 

 Q:コロナウイルスによる自粛後の生活は?

 

A:2月中旬以降、母が週1回通っていたデイサービスを中止させました。その後自宅から一歩も外へ出せていません。母親の認知力を落とさないためにデイサービスに引き続き行ってもらう選択もありましたが、高齢でいまの状況ものみこめない形で万が一感染すれば命にかかわります。それだけは絶対に避けたい思いで行かせない決断をしたわけですが、その代り認知機能の衰えが進みました。デイサービスに行かせるか、行かせないか。どちらにせよ母にとっては良くなかったわけです。後悔していますが、苦渋の選択でした。人生は常に答えの出せない問いがあると思いましたね。(6月12日以後、デイサービスは再開させている)

 

 Q:親亡き後の不安はありませんでしたか

 

A:父親が亡くなった後、兄の了承も得て家の管理を託されました。母の認知症が深刻になる前に不動産家屋、預貯金の残高を調べ遺言の下書きをつくり、母の承認を得て父が亡くなった年の暮れに公正証書遺言作成しました。母亡きあと自分自身困らず、家族内葛藤にも陥らないためには今後の生存戦略はたてなければいけない。このような「家族と自分の今後」は親が生きているうちにすべき事柄だと痛感します。

 

 Q:8050問題についてどう思われますか

 

A:著名な精神科医やジャーナリストなどは「ひきこもり1千万人時代が来る」とか「年金受給手続きもできない」など、親亡き後のひきこもり言説がありますが、僕はそうは思いません。自助会に来ている当事者の人たちも自分の生存戦略は当たり前にやるのではないでしょうか。専門家からみた当事者像だけが真実ではないと強く主張したい。むしろ自分自身一番不安に思うのは、老後の人間関係の構築に関することです。今はアルバイト先のリーダーや、20代から関わっている精神科医や友人が自分を受け止めてくれるけど、それがなくなるとしたら、どうすべきか。介護が終わったあとの生活はどうなるだろうか?と。

 

 Q:50代後半の今、みえてきたものは?

 

A:僕は58年間、両親が元気なときから生活をともにしてきました。父は寝たきりのような形で亡くなり、母は認知症になるまで見続けているわけで。その経験から理解したことは人間が生きるということは決して明るさや楽しさだけでできているわけでないということです。若い時期は自分の悩み中心でそれを掘り下げてきましたが、年齢を経ると自分の悩みからもう一段、自分のみではなく、自分以外にも気がかりとなる存在があると気づく。自由の意味の変容を感じます。僕の場合その存在は認知症の母でした。会話が通じないなど日々の生活のなかで面倒を感ずる時も多いけど、人間の機能は物理的に衰え、現実原則とは違うものになることを知る。常識に縛られた感覚が少なくなっていきます。いま実感するのは長生きすることもかつて思ったよりも悪くないのでは?ということですね。悩みの中で、今まですがってきたものや、混乱した思いにも整理がついてきて、多少は楽になってきた面もあるのではないかと思っています。

 確かに僕らの世代から下の人たちを思えば、そしてコロナ後の時代を思えば不安な要素が尽かないわけですが、まずはいま手元にある資源を最大限に利用する。そういう戦略的思考が必要だなとも思っていて、でもそのような姿勢に罪悪感を持つことで自分の人生をあえて苦しませる必要はないと思いますし、年をとるとある種そういう図々しい面は出てくると。自分自身を顧み、思います。

 

上記のインタビューは、この5月17日に刊行された日本評論社によるムック本『いまこそ語ろう、それぞれのひきこもり』。16人のひきこもり経験者によるエッセイの書き手のひとりとして、「ひきこもりと看取り」を担当した内容の要約にもなっている内容です。

このインタビューの内容は、あくまでも私の考え方と経験に即したものであり、個別的な内容であることを前提にしています。(逆に言うと、私自身のひきこもりの一般化は難しいという考えを反映しています)