勝山実さん(ひきこもり名人) インタビュー(後編)

 

 

 

 

 

 

ひきこもり小屋

 

 

 

杉本:1つ質問なんですが、勝山さん、ひきこもりライフ出した後、何か心境の変化とかありました? いま、それこそ熊野に家建てたりして。あれも人の力を借りて・・・。前から勝山さんは「自給自足が正しい」ということは言っていましたけれども。

 

勝山:そう。思ってたけど、きっかけがなかったんですね。

 

杉本:うん。とうとうそれを掴んで。

 

勝山:和歌山に講演会呼んでもらった時に、「おもしろいところがある」と共育学舎に連れて行ってもらって、偶然知ることができたんですね。

 

杉本:2013年でしたっけ。

 

勝山:それくらいですね。

 

杉本:ぼくも熊野古道二度ほど歩きましたが、本当に自然が多くていいところですよね。

 

勝山:そう。自分がやりたいと思っていたことを、すでにやっていて。条件も整っていた。タダの土地があって、5万円くらいで好きな小屋が建てられる。断る理由がない。

 

杉本:うん。三枝さんという人にも会って、価値観もあって、ということですか。

 

勝山:もう何年も先を行ってる感じでね。しかも、すでに10年以上も活動してるということですね。そこにシビれましたよね。考えとしては、いっぱいあるじゃないですか。田舎暮らしを考えるぐらいなら。

 

杉本:あります、あります。

 

勝山:考えている人は百万、二百万人といるけど、実際にやって、しかも他人に「タダでいいよ」っていう。ここがね。ここの差は大きいですよね。

 

杉本:大きいですね。本当にね。やれないんだよな。

 

勝山:やれないですよ。まして、他人に「タダでいいよ」っていうものを持っている人はゼロでしょう。そこが大きいな、と思って。

 

杉本:それでとうとう建てた、と。

 

勝山:もう小屋を建てざるを得ないですよねえ。

 

 

 

ひきこもり性善説

 

 

 

杉本:どうですかね?そこら辺、人の手を借りたりした?

 

勝山:もう、借りまくりですよ。在家の人の手を借りてね。で、「ひきこもり性善説」を証明することになったんですよ。

 

杉本:そうですか。

 

勝山:近藤さんも来てくれましたしね。

 

杉本:ああ、そうなんですね。

 

勝山:小屋作りを手伝ってくれる人を募集するときに、私はちゃんと「奴隷を募集します」と言って募集しましたから。

 

杉本:ははは。「奴隷」。

 

勝山:「あなたのやりがいを搾取します」と。

 

杉本:やりがいの「搾取」。

 

勝山:そう。そう言って募集して、それでも来てくれた人たちが小屋を作ってくれたんです。

 

杉本:ああ~。話がわかる人ばっかりだ。

 

勝山:そういうことです! だって、ほかのところでは「ワークショップ」とかいって小屋を作ってるんでしょ。お金とって。

 

杉本:ああ。やることはおんなじ、ってことね。

 

勝山:やることは同じなんだけど、ワークショップなんて言葉も使わないし、お金も取らない。ちゃんと、本心から「奴隷」です、と。あなたのその「やりたい」という気持ちを「搾取する」人間だ、ということを言ったうえで来てくれた人たちによって作られたものですから。

 

杉本:何人くらいそれに乗ってくれたんですか?

 

勝山:何人だろう? 全部で10人はいたと思いますよ。フォロのひとたちも手伝ってくれたんでね。

 

杉本:フォロというと、大阪の?

 

勝山:フォロというフリースクールがあるんです。

 

杉本:はいはい。山下耕平さんがやっているやつですね。僕もお会いしたいなあ。

 

勝山:あそこの人たちも手伝ってくれたんです。

 

杉本:へえ~。

 

勝山:あそこの人たちは本当、土方能力が高い。

 

杉本:ああ、そうなのか。そういう人たちが手伝ってくれて。それで「ひきこもり性善説」に至ると。

 

勝山:もともと性善説でしたけどね。証明された、という感じですね。

 

杉本:そうか~。悪い人はいないと。

 

勝山:いないです。

 

杉本:僕のカウンセラーの人もね。ひきこもりもそうだし、対人恐怖の人もそうだし、まあ統合失調症の人もそうだけど、まず悪い人いない、って言ってましたよ。ひとりとして。だからみんな真面目だし。話してて真面目でない病気の人間に自分は会ったことがない、って。もうちょっと不真面目になってもいいいんじゃないか、くらいな。それくらい真面目な人が多いんだって話してましたね。

 

 

 

同じところへ戻るのはいいことか?

 

 

 

杉本:だからさっき似たような話したかもしれませんが、何か純粋な人がちょっと。まあ勝山さんも話し聞いていると純粋なんだな、って思うんです。で、そこが誤解されてる気がするんですよ。勝山さんというのはやっぱり正直、界隈のひともね。「勝山さんはね」みたいな話は聞くんで。

 

勝山:(笑)

 

杉本:(手を合わせる)ごめんなさいね。そういう意味ではない、そういう意味ではないんですけど。ただやっぱり俺は「どうしてそうなっちゃうんだろう」って。やっぱり読まれ方。誤読というのかな? まあ、人となりがあまり知られてないということもあったりするのかなぁ? 何かそういう界隈の人たちの見てる角度がアレなのかもしれないけど。こう、ダイレクトに当事者の人が表現をすると。確かに勝山さんの場合は逆説的な書き方とかもされてるけど、でも読解力があればわかるはずなんで。

 

勝山:そうなんです。

 

 

杉本:難しい書き方はしてないと思うから。何かそこがちょっとねえ。僕がこんなこと言うのはあまりにもおこがましいんですけど。「残念だなあ」という気がします。

 

勝山:彼らは、当事者が自分より下じゃないと気がすまないんですよ。

 

杉本:まあ端的に言えばそういうことになっちゃうのかなあ、う~ん。そこがねえ。

 

勝山:そこがダメなところですよ。自分よりおもしろい人をおもしろがるくらいの余裕がないんですよ。

 

杉本:うん、そこは。

 

勝山:もちろんそういう人もいますけどね。全然こう、研究者なんかよりも当事者の方がおもしろい。べてるの家とかがそうだけど、ああいうのをおもしろがる人もいるわけですよね。

 

杉本:そうですね。だからね。そうそう。なぜか精神の。これは仕分けてるみたいで良くないんだけれど。そういう人たちがやると「おもしろい」っていわれるけど、ひきこもりの人たちがやると何か不謹慎だと。これがやっぱり「社会的」という、ひきこもりということが社会的関係ということが含まれちゃうからなんだろうけど。何か不謹慎的にみられてしまうところがあるでしょ?そこがねえ。どうしてそうなっちゃうんだろう?という。つらいのに。みんな真面目に悩んで。中には当事者側の人も「僕は真面目に悩んでるのにこんなお調子をさらしてもらっては困る」と思う人もいるでしょう?

 

勝山:社会的と言いながら、「社会が悪い」という視点がない。全部個人が悪い、個人の責任だ、という。

 

杉本:そうそう。いやもちろん僕もね。最初そう思ってましたね。

 

勝山:若いうちはしょうがないというか、最初の頃は自分もそうでしたけど。でも、本当にそうなのか?一応ドロップアウトしたわけだけど、でもまた同じところにドロップインするのがいいことなのか? そういうところに疑問を感じるか、感じないか、ですよ。いまの社会を容認するか。そこからこぼれ落ちてきたわけだけど、まったくおんなじところに戻るのがいいことなのか。そこからなぜ落ちてきたのか、こぼれてきたのか。そしてその同じところに戻ることが解決法なのか? という点に疑問を持たないとまた同じことになりますよね。

 

 

 

ひきこもる心のケア

 

 

 

杉本:そこでこれですよ。じゃ~ん!

 

 

勝山:ははは(笑)。そうですよね。

 

杉本:安岡譽いわく、「集団の病理を個人に転化する」というね。う~ん、まあみんな同じことをおおむね言っておるわけですが。

 

勝山:そうですね。

 

杉本:いかんせん、皆さん知名度もあまりないので。私に至っては(笑)何にもないので。説得力や波及効果があまりないというところが。

 

勝山:まあ、そこが世間の風潮なんです。

 

杉本:これを読まないと一丁前の人間になれませんよ、と言いたいところですが(笑)。何しろ一番最初の編者へのインタビューのところですでに「これじゃダメでしょ」という(笑)。

 

勝山:最高ですよ。

 

杉本:(笑)逆説にもほどがあるだろう、という話でね。

 

勝山:編者へのインタビューがあるから、この本が全部おもしろくなったんですよ。説得力が増したと思います。

 

杉本:ああ、そう言っていただけると嬉しいです。どうですか? 何か私の体験以外に関心がある話がありましたか?

 

勝山:私ね、この本の最後の最後。「プログラムが受身の消費者にしてしまう」(終章対談での村澤和多里氏の言葉)というのは私も考えていたことなんですよね。

 

杉本:ああ~。

 

勝山:お客さんが多いなあってね。これは「考える会」にも言えることなんですけどね。「ひきこもっている息子をどうしたらいいですか」というね。もうタダで答えをもらいにくるってね。とんでもない図々しいのがいて。「お前がダメだ」ってね。もう逮捕ですよ、その場でね。そういう道場破りみたいのが来るのよ。

 

杉本:はははは(笑)。

 

勝山:だから身にしみてね。どこもお客は一緒だなあって思ってね。

 

杉本:確かにそちらの読書会とか顕著だったけど、当事者たちがお客さんになってないな、と。まして初めて来られた人も含めて。全然お客さんになってなくて普通に何か自分が読みたい本を読んで感想を言いに来たという感覚が素晴らしかったけど。やはり親御さん系の人たちはそんなにこちらの親の会とそれほど変わらないかな、と。特別性はないかなと思いましたね。

 

勝山:変わらないでしょう?

 

杉本:そこはなぜなんでしょうね。僕もだから親御さんが支援者に会いに行って本当にインタビューとかするといいなあと思うんですけどね。

 

勝山:時間の無駄でしょう。

 

杉本:う~んでも、どうなんです? 北村さんとか、まあ函館には野村さんという方もいらっしゃるんですけど、自分の子どもが不登校になって、それを機会に当事者と一緒になって活動している人もいるじゃないですか。

 

勝山:改心した人たちですね。過去の自分を全否定した人たちですね。

 

杉本:ああ、そういう人たち。

 

勝山:それをキープ・オンできる人はえらいです。えらいというか、話ができるけど、その過去の間違った自分をどこか肯定したいという気持ちに負けて、おかしくなっていくんですよ。昔の自分もそんなに悪くなかったと。仕方なかったみたいな。言い訳をするようとするとおかしくなる。

 

杉本:(笑)、あの、幾つかね。あの、反論じゃないですけど、僕ちょっと逆に思ったりするのは、まあ来るじゃないですか。親の会とかにね、逆に言えば来ない。悪いけどバカな親も沢山いるじゃないですか? そもそも「私は悪くないんだ」とさえ思っている人がね。だから来て、来るだけでもまだ良しとする感じが僕にはあってね。そこでは何か「自分の育て方が悪かったからだ」と盛んにやっぱり飛び交うわけ。そういう発言がね。そうすると俺なんかはいやあ、何かそんな風に自分を思うことは却って当事者をつらくさせてるんじゃないのかなあ? と思うときがあってね。ちょっと懺悔大会みたいになっているときもあって。それをまたグループの世話係の人が「お母さん、もうちょっと元気出して」みたいなことを言っていたり。

 

勝山:甘やかしたらダメですよ。

 

杉本:まんま受けとめたら? 違うのかな、本質は。

 

勝山:でも悪い親の子どもが全員ひきこもりになるわけじゃないんですよ。

 

杉本:そりゃあまあ、もちろん。

 

勝山:だから関係ないんですよ。育て方はね。

 

杉本:確かにそうですよね。関係ないこともないけれども、あの~、責任は押し付けられないよね。うん、俺もそう思う。それは。

 

 

 

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