調和のためにリズムを大切にする

 

杉本:それでね。結局この本の中でも一番ポイントになるのがそのサリヴァンの「セルフ」と「ノットセルフ」の話だと思うんですけど。そのあたりの説明をいただければ。

 

村澤:急にそこに飛びましたね(笑)まあ、いいですけど。

 

杉本:飛んでますか(笑)。中井さんもサリヴァンのことをある意味、基盤にしているのかな、という風に思ったものですから。

 

村澤:サリヴァンを読む前からサリヴァン的な考えは持っていたと思います。そもそも結核とかの研究を通して生命としてこころというのかな。診るところで中井さんの中ではウイルスの病気も精神の病気も区別がない。それは両方とも「生命の乱れ」というか、生命のプロセスの何というのかな?まあ病理的な生命のプロセスというか。生命のプロセスの乱れた状態というのがウイルスの病気であったりとか、もともと生命というのはある調和がとれた状態でバランスを崩さないで続いている、流れているものだけれども。何らかの形で調和が乱れて、ほつれてしまう。そういう状態というのを病気という風に捉えている。だから「リズム」を大切にするわけですよね。リズムというものを重視するのは一度ほつれてしまった紐とかをもう一度織り込んでいって、調和させて。元のリズムに戻していくというかね。中玉まで戻していくというものが治療なんですよ。彼の中では。

 

杉本:調和的なリズムがずれてしまったという感じなんですかね?

 

村澤:そうね。ただリズムというのも、ジャズの比喩で書きましたけれど、一定の音楽をずっと流しているわけではなくて、ジャズの曲なんかはそうですけど、常にメロディを変えながら、ひとつの曲として続いているわけですよね。でも始めと終わりでは違う曲に聞こえているかもしれないけど、それでもひとつの曲として流れてくるわけじゃないですか?

 

だけどね。マイルス・ディヴィスのフリー・ジャズみたいに。

 

杉本:ははは(笑)

 

村澤:これはもう音楽として成り立っているのか?という(笑)

 

杉本:主旋律とはすでに全然違うものになってしまっているという(笑)

 

村澤:そうなってしまって。たぶんね。これはもう全然音楽じゃないとなってしまったのが統合失調症。だけどそれも「どこまでが音楽として認められるか」という相手の感受性によって、聞き手によって、ここまでをOKだという人もいれば、もうかなり初期の段階でアウトという人までいますよね。

 

杉本:そうですね。聞きなれている人から、ジャズ聞きなれてない人まで幅がありますものね。

 

村澤:そう、全くね。そう考えるとどこからどこまでが病気か?というのも受け取る側によって違ってくるわけですね。中井さん的にいうと。だけどまあ、ある閾値を超えるともう音楽として成立しなくなってしまう。自分でもどうしようもなくなってしまうような。

 

杉本:自分でもどうしようもなくなってしまう」のが、ポイントなのでしょうね。

 

村澤:そういう風になってしまったときに、一緒にそのセッションに参加しながら無理やり外から変えるんじゃなくて、一緒にセッションをしながら音楽として成立するように戻してあげる、みたいな。そういう風な発想だと思うんです。

 

杉本:なるほどぉ。そうですねえ。

 

村澤:面白いでしょう?それはすごい独特なところだと思うんですね。

 

杉本:もしかしたら精神科の薬がない時代から、相当のつわものの人はそういう風にセッション的に参加しながら成立するものを引き起こす。それはシャーマンとか。

 

村澤:そう。それがシャーマンなんですね。シャーマンとか言う人たちは、たぶんそういう名人みたいな人たち。

 

杉本:ある種の儀式みたいなことをやって、音楽の世界に引き戻す。現実のリズムの中に。まあそのシャーマン自体もどこか現実から遊離している人なんでしょうけど(笑)。

 

村澤:で、シャーマンが見ているのはたぶん個人だけじゃなくて、社会全体のリズムも感じながらその人のリズムも見ているというね。そういう意味では中井的な治療者とシャーマンの違いというのは、中井さんなんかはやっぱり結局「社会のリズム」というのを調整するところまでにはやはり至れないので。

 

杉本:難しいですよね。現代社会だと。

 

村澤:うん。シャーマン的ではあるけれども。

 

杉本:現代社会のね。多種多様な価値観の中で複雑な社会のルールが出来上がっている上ですから、大変ですよね。

 

 

 

免疫学からの応用

 

村澤:そうですね。政治的な複雑さもありますしね。で、とはいえやはり「生命」として見ているのでウイルスの病気も免疫システムの乱れ、みたいなね。そういうところで捉えているし、きっと一緒なんですよね。で、結核なんかでも身体のリズムとかいろんなリズムを整えていって免疫力を高めるじゃないですか。それによって自己治癒を図っていき、自分で自分の身体のリズムを取り戻すように持っていくのが結核の療養ですよね。

 

杉本:一貫として流れているものは何か?そこはちょっと置いたうえで、結核をされたという体験がすごく実感の上で大きいんじゃないかという気がしたんですよね。村澤先生も本の中で書かれていたことですけど、確かに中井さんの場合、結核の話を引き合いに出す文章がけっこう多いですよね。これは現代の人にとってみるとなかなかピンと来ないかもしれませんが、ある世代にとってはすごく大きな要素でね。結核と長期療養を必要とする精神の病いとは同じというか。まあ、ほとんど同じことをやればいいという。結核の場合は命にかかわることですし、統合失調症の場合は悪くなると荒廃したり、自殺したりということもあるでしょうから。そういう自傷行為に走らせない意味でも、あるいは慢性化させない意味でも。いや、ほとんど同じなのかもしれないですよね。「早期発見、長期の療養」みたいな(笑)。

 

村澤:結局、中井さんの発見としてはウイルス研究所にいた頃から川喜田よしお、川喜田「愛朗」と書く人がいるのね。彼をすごく重要視しているんですよね。当時まだ免疫学が自立してない時期に免疫学の重要性を割と言っていた人です。

 

杉本:多田富雄の前から?

 

村澤:いや、多田富雄の師匠ではないんですけれど、多田富雄は千葉大学に行くわけですが。川喜田愛朗も千葉大学にいました。千葉大学でウイルスとか細菌とか研究しているところにいて、川北愛朗が千葉大学で教鞭をとってた時期に多田富雄はアメリカに留学していましたから。直接の師弟関係がどれだけあるのか分からないんですけど、まあ教室としては割と近いところがあると思います。で、川喜田愛朗という人は1969年の全共闘の時に千葉大学の学長をしてて、辞職してるんですね。学生紛争の中で何かがあって。本人はあまり語らないんですけど。でも辞職することで免疫研究からは退くという形になるわけですが、それから何年かして多田富雄が千葉大学で免疫学を研究する。そういう形でつながってはいるんですけれど。

 

中井先生が丁度ウイルス研究で研究してた1963年とか4年に多田富雄がアメリカで免疫を研究していたという、そういう時代で。免疫というのが非常に注目され始めた頃に中井さんもそのまま行くと多田富雄とかと同じ路線で研究してたかもしれないけど、辞めちゃったので。「免疫」という考え方を統合失調症という病気のところで考え、位置づけなおしたものが中井理論だし、この免疫というシステムに代わるもの、丁度その位置を占めるのがサリヴァンの「自己システム(セルフシステム)」だという。だから後年になって多田富雄さんの研究とサリヴァンの自己システムを比べてそれは非常に似ている、と書いた論文がありますね。ほとんど一緒だと言ってます。

 

杉本:ガンになるというのは自分の中にある細胞が何かの拍子にその中で変異して、それが増殖して暴発して自分の中にある非自己性みたいな細胞が増殖し、死に至らしめるものなんだ、ということで良いのでしょうかね。

 

村澤:うん。そういう感じになるのでしょうね。まあ、僕もガンのことは分からないんですけど、たぶんその発想がある。中井さんは結核に罹った人はガンにならないって信じてますよ。

 

杉本:へえ~。

 

村澤:ウチの父親がガンで亡くなったときに「なんであんな結核をしているのにガンに罹ったか。おかしいなあ」って、言ってました(笑)

 

 

 

一元的な生命観

 

杉本:だけど何かアレですよねえ。僕もちょっと中井さんの本を読んでいて、こんなことあるのかなあ?と思ったんですけど。ハプニングですか?慢性化しかかっている統合失調症の患者さんも何か急性の病気に罹るとね。

 

村澤:うんうん。治ったりとかね。

 

杉本:別の大きな病気をしたら、そっちのほうで精神のほうの病気のほうは治っていくみたいな話が(笑)きちんと真面目に書いてあって。そんなことあるのかな?とも思ったんですよ(笑)

 

村澤:何か、彼の中ではもう統合失調症も結核もたぶん大きな生命のプロセスの中で一元的なんですね(笑)

 

杉本:まあ妙な言い方ですけど、こっちの痛みが反対のほうから別のほうの大きな痛みが来たらこっちのほうの痛みが消えました、みたいな(笑)。これはかなり乱暴な言い方ですけど。別のショックが来ると、元々あった大変な症状が。

 

村澤:ひどく一元的で、心身二元論というのはとっていない。

 

杉本:とってないですよね。

 

村澤:一元的なので。生命の広大な流れの中でどっかでシワが寄ったら、そのしわ寄せがどっかに来る、みたいな感じ(笑)。だからガンをしたら精神のほうが治ったみたいな(笑)。

 

杉本:(笑)僕は広大すぎて、まだ相当理解できてないと思うんだけど。だからこそ「心」じゃなくて、「宇宙」という発想になるんですかねえ?

 

村澤:うん、そうですね。

 

杉本:「世界」じゃない。

 

村澤:もう、そうなんです。「心の中」とか「内」とかの話でもないし。心と身体というのは一元的だし。

 

杉本:そこは東洋的でもある。

 

村澤:「自己」と「世界」というのも、区別というのはあまりない。

 

杉本:さあ、そうなると近代思想の根本原則から逸脱していくような(笑)ものに近くなっていく気もするのですが。

 

村澤:そうですね。だから彼にとってはベイトソン。まあ中井さんはベイトソンというのを意識はしているけど。はっきり言わないけど、むしろサリヴァンのところで、ベイトソンなどは消化されて。

 

杉本:サリヴァンという人は、どう考えていた人なんですかね?難しい質問ですが。

 

村澤:いやあ。僕もこれから研究しようとは思ってるんですけど。

 

杉本:中井さんと似たようなことを考えていらっしゃったんですかねえ?

 

村澤:ねえ?中井さんが精神科医になる。中井さんが結局結核に苦しんでいた頃にサリヴァン、亡くなっちゃいますから。

 

杉本:けっこう前に亡くなっている人なんですか?サリヴァンは。        

 

村澤:1950年のちょっと前に亡くなってます。だから抗精神病薬のクロルプロマジンが発見される前にサリヴァンは亡くなっている。

 

杉本:治療薬がない前に。先駆的だったんですね。

 

村澤:もうちょっと重なってたら面白かった。どうなったかなあ。

 

 

 

サリヴァン思想の背景

 

杉本:おそらく村澤先生はサリヴァンもよく読まれてると思うんですけど、書かれている内容これはちょっと古いな、というような所とかはあるんですか?

 

村澤:いやあ。古いといえば古いけど。

 

杉本:予見してるとか?

 

村澤:予見してるという……。いや、やはり古いとはあまり思わないですね。ちょっと新しすぎたというか。

 

杉本:新しすぎた。これからもしかしたら本当に研究される?それともまた違う?ちょっとまた別の世界を見ている感じ?(笑)

 

村澤:うん……。発想が違いすぎる。

 

杉本:エベレストとかヒマラヤの山頂の頂うんぬんと、翻訳にあたって中井さんは書かれていたとか。そこを極めるような状態なのだと。それくらい難解な思想ですか。

 

村澤:難解といえば難解ですね。何を書きたいのか良く分からないという。

 

杉本:う~ん。なるほど。「セルフシステム」を提唱していても。

 

村澤:セルフシステムというのがちゃんと理解できたらいいんだけど、精神分析みたいなモデルでセルフシステムというのを考えると。

 

杉本:つながらない?

 

村澤:もうもう、全然理解できない。

 

杉本:本人はやはり精神分析理論を軸にしているのですかね?

 

村澤:あんまり思っていないと思います。

 

杉本:当時の心理学の世界って片側に精神分析理論があり、もう片側にクレペリンとか、いわゆる脳病だと語る世界だと。完全に二分されててそれ以外の心の病に関しての第三の領域みたいなものが見当たらない。まあ、カウンセリングの領域でいえばロジャースなどがいたでしょうけど。

 

村澤:あ、でも、ホワイトかな? アメリカの精神医学の大家なんですけど。サリヴァンはあんまり理論的には継いでないんですけど。でもまあ精神分析でも、正統精神医学でもないちょっと中道みたいな流れというのは、あるにはあったんですよね。

 

杉本:相当に広い視野の人なのかな、と想像しますが。

 

村澤:うん。発想としては哲学がベースになって、もう明らかに本人も言ってるけど、発達心理学の影響、学習心理学ですね。ゲシュタルト心理学。学習理論。それからジョージ・ハーバード・ミードの社会的自我論。ジョージ・ハーバード・ミードの影響はものすごく強いですね。ウイリアム・ジェームスとか、それからサピアというね。エドワード・サピアという言語学者と親友なんです。そういう人がいたりというような。ニューサイエンスとも違うんだけど、1930年代から40年代に急にブワ~と出てきた社会学のシカゴ学派とかを読んでるんですね。

 

杉本:シカゴ学派?ちょっと初めて聞く学派ですけども。

 

村澤:あとは、マーガレット・ミードとか、ルーズ・ベネデクト。

 

杉本:『菊と刀』の。

 

村澤:ルーズ・ベネディクトからはけっこう引用してますね。

 

杉本:ふ~ん。そうなんですか。

 

 

 

精神医学と社会科学を融合することを考えていたサリヴァン

 

村澤:そういう新しい社会科学。サリヴァンは精神医学と社会科学を融合することをずっと追っていたので、社会学とか、社会科学とか、そういうものを吸収してそこに人類学とか。特に人類学の影響は多くて、人類学が未開社会を理解する手法を未開人じゃなくて統合失調症の人の理解にちょっと応用したみたいなね。社会学や人類学の方法を応用したみたいなところはひとつあって。それが独自の見方につながるのと、もうひとつは科学ですよね。当時の。量子力学。

 

杉本:ああ……。これは大変だ。すごいですね、幅が。

 

村澤:で、中井さんがサリヴァンにはまったのは量子力学をウチの父親がやっていたので。その関係でよく知っていた。

 

杉本:村澤さんのお父さん、理系ですしね。

 

村澤:サリヴァンでいうと、やっぱり「システム理論」。ベルタランフィとか、先ほど挙げたグレゴリー・ベイトソンとか。そのあたりにつながるようなシステム論とかも吸収してたし、ヴィゴツキーも知ってたんです。彼は。

 

杉本:ああ、それは確か書いてありましたね。

 

村澤:ええ。ヴィゴツキーからというような形で、今でもかなり先端のほうで取り組まれているような人たち。かなり初期の頃からヴィゴツキーや最先端の科学を彼なりに吸収して統合して作ったというのがあるので。

 

杉本:サリヴァンという人がやっぱり治療したい対象は統合失調症の人たちなんですか?

 

村澤:まあ、自分自身がちょっとその気がありましたから。

 

杉本:ああ、なるほど。いやでも、それだけ学者さんの名前が出てくるようになるとやっぱり相当読み込んでますね。村澤先生も。

 

村澤:そりゃそうですよ(笑)。そりゃ、そうでしょう。

 

杉本:はは(笑)。すみません、失礼しました。

 

村澤:「そりゃそうでしょう」という。何かね。

 

杉本:難しい頂きですねえ。ええ。

 

村澤:サリヴァンはそうとう読んだほうなんじゃないですかね。

 

杉本:ああ~。そうですかぁ。

 

村澤:うん。そもそも読んでも読んでも分からなかったのが、最近ようやくちょっと分かってきたかなあという感じですね。

 

杉本:サリヴァンに目を通し始めたのは幾つくらいからなんですか?先生は。

 

 

村澤:それはもう学生の頃から。その頃中井さんがサリヴァンを訳したのが80年代とかで、サリヴァンの主著の『対人関係論』であるというのが、91年に訳されているんですね。で、ちょうど僕が割とちゃんと中井さんに会ったのが90年頃なんです。

 

杉本:先生は何年生まれでしたっけ?

 

村澤:1970年生まれなので。

 

杉本:あ、じゃあ20歳の頃?

 

村澤:うん、まあ19くらいかな。浪人してる頃に中井さんが泊まりに来たというね。泊まりに来てゆっくり話したというのがあって。それまではちらっと会ったりするくらいで、そんなにゆっくり話さないし、まあ話す内容もないじゃないですか。

 

杉本:なかなかね。それは確かにそうですね。

 

村澤:高校生とか浪人している頃に会って、まあ兄貴も大学生だったので、中井さんも泊まりに来たときにちょっとゆっくり話したりすることがあったんです。そのあたりがちょうど彼がサリヴァンをね。一番訳し始めたというか。まあサリヴァンについてひと段落したころなんです。

 

杉本:ああ、そうか。それでは一番サリヴァンについて関心があって、了解して語るべきことが沢山あった?

 

村澤:そうそう。その頃に話を聞いたのね。中井さんから。

 

杉本:それは一番いい時期でしたね。

 

村澤:うん。ちょっと影響はあったんじゃないかなあ。しかしね。そのあと学生になって95年頃。20代半ばくらいでサリヴァンを読んだけど、まあ卒業論文でも引用してますからね。いま考えたら全然わかっていなかったかなと。

 

杉本:難解なんですねえ。

 

村澤:うん。それから何回も何回もやっぱり引用したりしたから見直したけど、4回か5回読み直して、昨年加藤弘道さんと一緒に北大の大学院でね。加藤弘道さんがやっている授業でサリヴァンを読むので一緒に読みませんか?という誘いというか、そういう話になって。サリヴァンをやったんですよ。その時に、そうですね。「分かった」という感覚を得られたのはたぶんそこかなあ。加藤さんと読んだからというよりも、まあ自分の中では去年の段階でだいぶ「ああ、分かってきたかな」という感じはあったんですけど、加藤さんのゼミというのが自分の中でのひと段落をつけるきっかけになったかもしれない。

 

杉本:ああそうですか。大学院のゼミなんですね。

 

村澤:うん。自分が言い出しっぺで、サリヴァンにしてくれと言ったのに、収拾がつかなくなったら大変だから、必死で読むじゃないですか(笑)

 

杉本:あ、そうか。僕が加藤先生にインタビューしたときはサブカルの話が多くて、少し取っ散らかったままで終わってしまった感があるんですけど(苦笑)

 

村澤:加藤さんの関心は青年期をどうやって乗り越えるかという所で知的な側面の再体勢化みたいな。一度脱構築して、知的な能力をもう一度組み立て直すみたいな。さまざま議論しながら読んだというのが非常に良い勉強になったなと感じています。

 

杉本:なるほど。貴重なお話、ありがとうございました。

 

 

 

2019.2.21

 

札幌市内の喫茶店にて

 

 

 

インタビュー後記

 

 

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ゲシュタルト心理学―ゲシュタルト心理学(Gestalt Psychology)とは、心理学の一学派。人間の精神を部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える。この全体性を持ったまとまりのある構造をドイツ語でゲシュタルト(Gestalt :形態)と呼ぶ。

 

ゲシュタルト心理学は、ヴントを中心とした要素主義・構成主義の心理学に対する反論として、20世紀初頭にドイツにて提起された経緯を持つ。特にユダヤ系の学者が多かった事などもあって、ナチスが台頭してきた時代に、同学派の主要な心理学者の大部分がアメリカに亡命した。その後、同学派の考え方は知覚心理学、社会心理学、認知心理学などに受け継がれた。自然科学的・実験主義的アプローチや、全体性の考察に力学の概念を取り入れた事など、現代の心理学に与えた影響は大きい。(Wikipediaより)

 

ジョージ・ハーバード・ミードー(George Herbert Mead1863- 1931) 。アメリカの社会心理学者。哲学者、思想史家でもある。研究業績の多くを、シカゴ大学で行い、プラグマティズムの重要な一人として知られている。また、シンボリック相互作用論の父として知られている。プラグマティズムの大家、ジョン・デューイとの共同研究も知られている。

 

ウイリアム・ジェームスー(William James1842 - 1910)。アメリカ合衆国の哲学者、心理学者。意識の流れの理論を提唱し、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』など文学にも影響を与えた。パースやデューイと並ぶプラグマティストの代表として知られている。著作は哲学のみならず心理学や生理学など多岐に及ぶ心理学の父である。

 

日本の哲学者、西田幾多郎の「純粋経験論」に示唆を与えるなど、日本の近代哲学の発展にも少なからぬ影響を及ぼした。夏目漱石も影響を受けていることが知られている。後の認知心理学における記憶の理論、トランスパーソナル心理学に通じる『宗教的経験の諸相』など、様々な影響をもたらしている。

 

ジェームズは1875年には、アメリカで初の心理学の講義を開始し研究室を設けた。ドイツのヴントが研究室を用意したのは、この4年後の1879年である。(Wikipediaより)

 

エドワード・サピアー(Edward Sapir 1884- 1939)アメリカの人類学者、言語学者。アメリカの構造言語学を主導し、「サピア=ウォーフの仮説」と呼ばれるようになった学説を提唱したことで知られる。1904年にコロンビア大学をドイツ語の学位を得て卒業、その後、シカゴ大学で教鞭をとり、移籍したイェール大学では人類学科長を務めた。彼は言語学と人類学とを結びつける研究の先駆けであり、1921年、「使用する言語によって人間の思考が枠付されている」とする新しい言語観を発表する。これを1940年代にベンジャミン・リー・ウォーフが取り入れ、発展して後に「サピア=ウォーフの仮説」と呼ばれるようになった。(Wikipediaより)

 

シカゴ学派―.デューイ,G.ミードらの「人間のあらゆる認識を行動の場でとらえる」ことを目指すプラグマティズムと,1930年代シカゴ大学に来たウィーン学団の R.カルナップ,C.ヘンペルなどの科学記号の論理的解明を目指す運動の2つが合体して成立した記号論研究集団をさす。初めウィーン・シカゴ学派と呼ばれ,のち,特にシカゴ大学のメンバーだけをシカゴ学派と呼ぶようになった。(コトバンクより)

 

マーガレット・ミードー(Margaret Mead1901 - 1978)。アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれの文化人類学者。コロンビア大学でミードを指導したルース・ベネディクトとともに20世紀米国を代表する文化人類学者と評価されている。

 

ミードはニューヨーク市のバーナード・カレッジで学士号を、コロンビア大学で修士号および博士号を、それぞれ取得。文化人類学の発展期にあって数多くのフィールドワークをこなし、精力的に研究を行った。また文化人類学を利用した社会評論や一般向け著作にも熱心に取組み、文化人類学の普及に多大な貢献を行った。南太平洋および東南アジアの伝統文化においての性に関する態度を詳述したミードの報告は、1960年代の性の革命に影響を与えたとされており、ミードは、尊敬されまたしばしば論争の対象ともなる学者であった(Wikipediaより)。

 

ルーズ・ベネデクトー(Ruth Benedict1887- 1948)は、アメリカ合衆国の文化人類学者。ニューヨーク生まれ。日本文化を説明した『菊と刀』の著者として知られる。彼女の『文化の型』(1934年)は、あらゆる人間社会の中で現れてくる行動パターンの形成過程を記述し、文化の相対主義を表現したものであった。専門的な題材を扱ったにもかかわらず、本書は戦前期のアメリカで最も広く読まれた文化人類学の著作となった。執筆期間を通じて、言語学者エドワード・サピア、精神科医H.Sサリヴァンの他、シカゴ学派との交流が深かった。

 

システム理論」―システム理論(system theory)は、現象のマクロな挙動を直接的にモデル化して扱う手法の体系のことである。1950年代に提唱者のルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィを中心として、アナトール・ラポポート、ケネス・E・ボールディング、ウィリアム・ロス・アシュビー、マーガレット・ミード、グレゴリー・ベイトソンらが集まった「メイシー会議」で初めて正式な学術分野として承認された。

 

19世紀までの近代科学では、原子11つの挙動の寄せ集めで全ての現象を説明可能とする要素還元主義が一般的(つまりは全ての現象が線型という扱い)であり、非線型な現象を形而上学的な概念である「全体性」として説明してきた。しかし、システム理論の提唱により、全体性も科学的に説明可能となり、複雑系や自己組織化現象等、非線型な現象まで科学的にモデル化し、理解できるようになった。また、システム理論は、分野をまたいで同型な議論を再利用できるようにし、科学的な議論の効率化にも大きく貢献した。(Wikipediaより)

 

ベルタランフィー ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィ(Ludwig von Bertalanffy, 1901 - 1972)ウィーン生まれの生物学者。1934年からウィーン大学、1948年からロンドン大学、1949年からモントリオール大学、1950年からオタワ大学、1955年から南カリフォルニア大学、1961年からアルバータ大学、1969からニューヨーク州立大学バッファロー校の教授を歴任した。 ベルタランフィは、生命現象に対する機械論を排して「一般システム理論」を提唱した。Bertalanffyの成長曲線にその名前を残している。(Wikipediaより)

 

グレゴリー・ベイトソンー(Gregory Bateson, 1904- 1980)。アメリカ合衆国の文化人類学・精神医学などの研究者。イギリス出身で、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国に渡った。文化人類学者マーガレット・ミードの公私にわたるパートナーでもあった。平洋戦争以前の人類学的調査では、ひとつの人間集団を内的関係性のダイナミックスという視点から分析する方法を切り開いたが、この思考は、戦後まもなくサイバネティックスの創立に関与しつつ研ぎ澄まされた。そして、精神病棟でのフィールドワークから、「ダブルバインド」という概念を生みだし、統合失調症をコミュニケーションに基づく見地から説明した。

 

後年は、イルカのコミュニケーションから生物進化まで、自然界の広い事象を包括する「マインドのエコロジー」を提唱。ベイトソンの一見神秘主義的ながら、堅固に論理的でウィットにも富んだ思想は、西洋近代の単線的な思考形態が批判される1970年代の風土のなかで支持を広げた。 「メタ・メッセージ」を提唱。メタ・メッセージとは、メッセージには元となるメッセージの中にそれを説明するメッセージが込められているということである。また、ベイトソンはメタ・メッセージを読み取るコミュニケーションを「メタ・コミュニケーション」と呼んだ。(Wikipediaより)