生涯発達の心理を語る 平野直己さん(北海道教育大学准教授)

 

ー まったくそうですね。あともう一つだけなんですが。僕、いまだに自分の中で収まりがつかないことを一つ何とかお聞きしたいと思っていたんです。実はウチの父親が最近急に年老いましてね。あの、もしかしたら亡くなるかもしれない可能性が近々あったんです。その時、急にふと、いままで意識しなかったんですけど、「終末期」ということを意識したんです。そこは全然準備して考えて来なかったんで、慌てふためいてしまったということがありまして。でも無理くりなんですけど、若者自立支援とか。元々そこら辺から質問の意図があったんですけど、自立支援関係というとやっぱり就労とか、あの~、経済的な自立とか現実主義的にはあるじゃないですか?なんか人生の光へ。勿論若いわけですから、人間の自然として成長として光に向かって坂を上るという。そこでおずおずと日陰に居ないでさ、という。ちょっとね。後押してもっと日のあたる場所に行ってみよう、みたいなことだと思うんですけど。でもふと思ったら青春期、成年期ってほとんど年取ってる親のこと忘却してるというか。それが自然といえば自然かと思うんですけど、同時に何か欠落してる、大事なことを忘れているんじゃないのかなあと思い至った感じなんです。

 そういう時、若い天才的な芸術家とか宗教家は自分の内面に「老いの意識」みたいなものが何か直感的に感じている。そういう人たちは結構普遍性をもっているような気がして。宗教家で言えばお釈迦さんて完全にそうですよね。「生老病死」みたいな。早く、若い段階でそこにこだわり持っちゃってその呪縛から逃れたい、って修行に入ったわけですよね。だからそういう人もいるわけで。ちょっとそういった人たちも特殊なのかもしれないですけど、どうなのかなあ?と。

 

平野 そっかあ。

 

ー 言語化も僕、まだ上手く出来てないんですけどね。

 

平野 僕はね。えっと、僕らの世界では「ワーク・スルー」って言うんだけどさ。何回も何回も自分の課題を修正していったりね。もう1回振り返ってみたりね。また同じ課題にぶつかってみたり。繰り返しながら人って生きていく気がしてるのね。例えば一つはさ。「死」って問題はそうだよね。死、って言ったって児童期に感じる死のイメージ、青年期に感じる死のイメージ、今度は自分の父や母をさ。本当に具体的に看る段階ね。みんな違うよね。

 だから最初はね。親から離れる、身体的に離れて学校に行ける身体的な親との間の別れがあるでしょ?次は精神的な別れでしょ。そうしたら今度は何か?といったらさ。生命としての別れでしょ。それから自分との別れでしょ。そういう「別れ」の中で生きていくわけでしょう。でさ、基本的に人生というのは「別れ」と共に生きているわけよ。これも精神分析的な考え方でね。常に僕たちは対象喪失のために生きているわけ。生まれた時から死ぬことだけは決まっているわけだからね。で、それは僕はね。ずっと幼児期からあると思うよ。だけど僕らの年代は、僕と杉本さんの年代は自分の親の老いを見るんだよね。

 

ー はい。そうですね。

 

平野 そうなんだよね。で、そうすると今まで自分たちが否認してたことに気づくわけだよ。

 

ー そうそう。そうなんですよ。

 

平野 いろいろね。感じないようにしてきたわけだけども。

 

ー 極めて具体的な形で。

 

平野 そう。極めて具体的な形で来るんだよ。だからさ。自分が持っていた親のイメージと違うものをどんどん目の当たりにするわけだ。そう。今度は僕らが介護する側に立つわけ。でもそれって、新しい問題なんだよね。フロイトの時代は多分ね、人生は60年か70年だよ。20歳くらいで結婚して。40くらいまで子どもを次々産んで。そして残り20年なんだよ。だから末の子が成人する頃に死ぬんだもんね。つまり子どもの間に親と別れるんだよ。だから大学生の頃に親と死に別れするというか、死別したわけ。でもいま違うんだよ。俺たちが60になって、親が80~90で死んでいくんだよ。そうすると俺たち自身の老いを感じながらその親が衰え、朽ちていくというのは新しい問題だと思うんだよね。

 

ー そうですよねえ。新しいですよ。

 

平野 そう。でね、それについて体系的に語れる人はまだいないんだと思うよ。

 

ー ああ。そうなのか。

 

平野 僕たちが、僕たちの世代というか、ちょっと上の世代。いま介護をやっている人たち。老老介護をやっている人たちが語れることなんだと思うよ。ウチの祖母、90なんぼで死んだけど、そんなつもりじゃなかったって言ってたもん。もう60だと思ったらまだ30年ある。「フルマラソン走ったらまだ20kmある」って河合隼雄先生言ってたけど、そんな感じですよね。

 

ー そうですよねえ。いやあ~、でも半分安心しましたし、半分難しいと思いました。ええ。

 

平野 難しいよ。何故かっていうと僕らが、何と言ったらいいのかな?僕らの近い未来を見ることになる。

 つまりさ、20の時に50で親亡くすのはまだ頂上に行く前に親を失うわけだから。対して下山し始めているときに下山先の親を失うわけだから。だいぶ違いますよね。上り坂で親との別れを体験、生命的な別れを体験するのと、下り坂で体験するのとちょっと違いますよね。

 

ー だから僕の中で収める感情の収め所の言葉というと「生老病死」という言葉しかないんですよ。老、病、死というものが四苦の中にあるんだというのが本質的なんだという。正しいんだというしかないんですね。でもそれ以外の(笑)言葉は特に見つからないんで・・・。

 

平野 ああ~。でもそれはお釈迦さんもキリストも知らないことだと思いますよ。何故かというとね。若い弟子に彼らは看取られながら死んでったんだよ。その意味で違うんだよ。いま亡くなっている人たちは老い衰えている弟子たちとともに死んでいくわけ。

 

ー ああ。そういうことか(笑)。

 

平野 言ってる意味、わかります?

 

ー はい、わかります。

 

平野 だから20の子が見送る親と、50代の大人が失う親はちょっと違うんだよね。そこの心理学について語っている人はあまり見たことないと思うんだよなあ。

 

ー これからの分野かもしれませんねえ。

 

平野 そうだと思う。

 

ー 壮年期が老いた親を看たときに。

 

平野 壮年期の子どもがね。親をどう看るか、ということね。

 

ー やっぱり子どもなんですよね。その意味ではね。

 

平野 そう。だからもう一度自分の中の、子ども時代の自分に出会うでしょ?

 

ー だからそこで。果たして本当の自立って何だろう?とちょっと思ったというか。そんな感じでしたねえ・・・。

 

平野 それは俺にはわからない。でもそれはもう現実的な問題だから。

 

ー そうですねえ・・・。

 

平野 どっか否認してるし。何故かといえば、僕は東京に残してきているから。

 

ー う~ん。

 

平野 あと、昔はね。楢山節考なんだよ。基本的に捨ててくんだよ。能動的に捨ててくんだよ。姥捨て山。

 

ー でも、泣きながら、ですよね。

 

平野 そう!そうそうそう。だけどさ、それをさ。親は受け入れていくわけ。で、それは何を意味しているかというと、自分もそうやって捨てられる存在なんだということを「引き受けていく」ということでしょ。

 

ー うん。いまのお医者さんって、インフォームド・コンセントで全部言うんですよ。だからウチの親が胆のうとらなくちゃいけないって。開腹手術しなくちゃいけないって言われて。あの、親父、心筋梗塞やってるんで、そうすると今度は薬の作用で出血死する可能性もあるかもしれないのでね。親の面前でそれ、全部説明して。

 

平野 そしてサインしてください、でしょ(笑)。

 

ー そうそうそう。それでね。僕、最悪の場合のリスクって何ですか?って聞いたら笑顔の割と接しやすい消化器内科の先生に「いやあ、術中死です」って言われて。割と明るいニュアンスだから全然キツく響かなかったんですけど、まあ、その時はそんなでもなかったんですけど。”え?そんな深刻か?”みたいな感じになったんですね、僕は。でも親父は。その時全部聞いてて、胆のう炎とは何か?とか全部質問してて。頭がしっかりしてるから。で、「わかりました。すべてお任せします。これは天にお任せですから」って言ったんですよ。その時初めて、僕、”親父ってすげえなあ”って思ったんですよ。

 

平野 強えなあって思ったんだね。

 

ー ええ。

 

平野 へえ~。

 

ー 本当に。あんまり尊敬してなかったんです。恥ずかしながらずいぶん小馬鹿にして後悔してたんですけど。そうやって引き受けるんだなあって。ちょっといまは元気になって退院しそうなんで。ちょっとまたワガママになってきて。

 

平野 ははは、ははは(笑)。

 

ー まあ、日常性が戻ってくるとまたね。「面白くねえな」と思うんですけど。でも、その瞬間の記憶は”すごい”と思いました。

 

平野 だって、30年後の自分だもんね。

 

ー そうなんですよねえ。

 

平野 その時に僕らも同じように死についてこう、考えるわけでね。

 

ー 88の米寿なんですね。ウチの親父。で、前から、今年の3月くらいから食べれなくなって「死にたい、死にたい」って言ってたらしいんですけど。母親に。で、心気症じゃねえか、気分障害じゃないかと。でも、たまたまあるお医者さんに話したときに、「いや、たいがい高齢者の場合は身体のほうでそういう言葉が出るんだ」って。身体のほうの疑いが大きいのかな?と思い始めていたら案の定、胆のう炎があってという。でも未だに食べれないんですけど。まあ、昔風に言えばいわば老衰ですよね。まだ老衰でも生きなくちゃなんないというのが今の時代のちょっと難しさでもあるかな、と。

 

平野 そうだよね。生命をいかに存えさせるかが何か医学の課題だからね。だからこの世からあの世へ送り出すのとは少し違う。

 

ー うん。父もだから、新しい課題に向き合ってて悩ましいし。

 

平野 そうだよ。だってお父さんが経験していることは人類が経験していないことだから。これまでの人類が。人生80年も生きる時代なんて今まで人類が直面してない問題だから。

 

ー おなかも治った。身体も問題ありません。でも食べれません、動けません、という。でも頭だけはしっかり・・・。

 

平野 それでも生きれます、みたいなさ(笑)。薬を入れれば大丈夫、管を入れれば大丈夫みたいになるわけでしょ。だからそういう時代だからさ。多分、人類も、地球上の哺乳類もさ。誰も経験してないことだから。それがこころにどんなものをもたらしてくるのか。わからないよ。

 

ー だから、若い人の心理も変化してきてるけど、中年も、高齢者の心理も新しい変化の時代を迎えているのかもしれませんね。

 

平野 そうそう。だから心理学も「発達心理学」って昔は赤ちゃんの心理学だったのね。だけどいまはね。高齢者も入るの。だから「生涯発達心理学」って言われてるの。それがこの20年、30年くらいだよ。まだ若い学問。つまりそういうことを考えなくちゃいけない時代に入ったのよ。つまり”老いていく発達”ね。

 

ー うんうん、なるほどね。

 

平野 こう、下り坂の心理学ね。そうそう。下り坂の発達というか。「下山の心理学」というか。

ー なるほどね~。だから親父の孤独も深かろうなあって。思うんです。だから奈井江の方波見先生みたいなああいう家庭医さんみたいな人がいたらいいんだろうなあと思ったり。願望的にはですけど。

 

平野 ああ。だからそれこそどういう風になっていくかね。

 

ー いやあ~、いまのところ外科の先生も消化器の先生にしろ、若いですからね。

 

平野 でもさ、それってさ。大学で研究しにくいんだよ。何故かって大学で研究している人たちってバリバリの仕事をしている人たちだから。そっちの方になかなか目を向けにくいよね。やっぱ右肩上がりの心理学が良いんだよね。下り坂の心理学はなかなかね。親なんてのは下り坂の人だからね。離れて捨てられなきゃいけない人たちだから。お別れ。別れなきゃいけない人たちだから。

 

ー別れを含む、ということなんですね。

 

平野 そうそう。だって青年期の子どもと別れたら今度はさ。夫婦での暮らしになるわけだよ。これがまた大変な道。

 

ー そうですよねえ。共通の話題がなくなっていくわけですよねえ。

 

平野 そうそうそう。長いこと父親、母親として一緒に生きてきた人が「妻」と「夫」になるわけだ。

 

ー そうですね。うん~。

 

平野 ああ~。まあ、難しいよ。いや、だからね。自分の親見てると俺、凄くいいなあと思うもんな。いつまでも寄り添えて。しかも俺の親父は自営業だから一緒に居るわけだよ。職住接近だから。だからさ、最近そういうのは昔は嫌いだったけど、良く一緒にいられるなあ、と。

 

ー 仕事があるからじゃないですか?

 

平野 いま仕事ないもんね。だってもう70代後半だもの。

 

ー そっか。う~ん。

 

平野 80に手が届く年だし。そうなってくるとさ、「まあいまさら別れたってねえ」、なんて風になるのかねぇ。

 

ー (爆笑)。

 

平野 (爆笑)まあ、そうだよねえ。ははははは。

 

ー 日本人的かもしれませんね。何となくこう、空気みたいに。

 

平野 その歳で、そこら辺でベタベタされたりチュッチュされたら気持ち悪いしさあ。嫌でしょう?そういうの。それも勘弁して欲しいしさあ。だからすげえなあと思うよ。日本の老夫婦なんてさあ。

 

ー 上手いのかもしれませんねえ。そういう意味では。寡黙に二人でいても何ともないという。

 

平野 そうそうそう。笠智衆とかの世界だよ。

 

ー まさにまさに。

 

平野 ああ~すごいね(笑)。ひきこもりから老老介護の話まで。

 

ー (笑)。

 

平野 あはは(爆笑)。

 

ー (笑)すみません。何だか。

 

平野 いえ、だいたいもう良いお時間で大体いいですか?こちらこそご免なさいね、何だかね。

 

 

 

2014年8月13日 北海道教育大学 札幌分校にて。 (取材協力:吉田 言)

 

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